第28回 朱鎔基元首相、TBSで100人の日本市民と対話

2018-04-24 11:50  CRI

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 中日国交正常化45周年特別企画 「国交正常化45年の歩みーあの日、その時」。

 今年は中日国交正常化45周年です。この記念すべき年を迎えるに当たり、中国国際放送局は特別企画「国交正常化45年の歩みーあの日、その時」を毎週土曜日にお送りしています。今週は、今から17年前の、朱鎔基元首相が日本を訪問したときに、TBSのスタジオで100人の日本市民の市民に囲まれ、とテレビの前で市民と対話した様子をお届けします。お相手は劉非です。

 これは17年前の2000年の10月14日の夜、朱鎔基首相は中国の国歌という音楽が流れている中で、TBSの「筑紫哲也スペシャル」という番組のゲストとしてスタジオに登場した様子でしたす。

 2000年10月12日から17日にかけて、朱鎔基元首相は日本を正式訪問しました。訪問期間中、朱鎔基首相は天皇陛下と会見したほか、森喜朗首相と会談し、また経済界など日本各界の人々と幅広く接触交流しました。その中で、最も注目されているたのはテレビの前で日本市民と直接対話することですした。これもは今回の訪問の中で「最大のハイライト」と位置付けられました。

 一時間以上にわたって行われた市民との対話で、朱鎔基首相は歴史問題、台湾問題、日米安全保障問題、WTO加盟後の中日貿易関係、中国の人権問題、環境保全問題、中国の海賊版コピー商品コピーなど、日本市民が関心を寄せる政治や経済、社会問題などについて回答しました。

 市民対話が始まる前に、朱鎔基首相はまず訪日の背景について、つぎ次のように述べています。

 「私が招きに応じて日本を訪問した背景は以下のようなものである。1998年、江沢民主席が日本を訪問した。また、亡くなられた小渕首相と共同宣言を調印し、中日両国が平和と発展のために、21世紀に目を向けた長期的な戦略的パートナー関係の確立を決定した。それ以来、中日両国の関係発展において、その主流がとても良好だと言えるが、問題がないというわけではない。日本国内において中国への疑惑や警戒、さらに中国が日本にとって脅威であるという声が聞こえる。それと同時に、歴史問題や台湾問題、安全保障などの問題についての日本国内の一部の言論が中国国民の感情を傷つけている。私はこういう背景のもとで、日本を訪れてきた。今回の訪問を通して、信頼増進、疑惑釈明、協力推進といったことを促すことができれば幸いだと思う。もちろん、この目的を達成するには政府間の努力だけではなく、両国民の直接な対話も必要である。そのため、私は今晩、日本国民と直接対話する機会を非常に大切にしており、中日両国の政府も今晩の市民対話をとても重視していると思う」

 2000年10月、中国がはまだ正式にWTO・世界貿易機関(WTO)に加盟していなかったのませんでしたがですが、日本との貿易はとても盛んになっていますした。当時、日本は数年連続して間に渡って中国最大の貿易相手国となり、中国も日本にとって、二番目に大きな貿易相手国となりました。市民対話で、に参加した太田(おおた)と申す女性市民さんは、中国がWTOに加盟した後、日本との間に自由貿易協定を結ぶ可能性について、朱鎔基首相にお伺いしました尋ねました。これについて、朱鎔基首相は「中国と日本は一衣帯水の近隣である。貿易面において、両国は今後さらなる進展を遂げると信じている。現在、中国は日本にとって、二番目に大きな貿易相手国であると同時に、日本は中国にとって、最大の貿易相手国である。両国の経済関係はとても密接である。WTO加盟後、両国の経済貿易関係がさらに発展するよう望んでいる」と語りました。

 市民対話の番組のためにTBS は日本全国の視聴者からたくさん多くの意見、や質問を取っており募り、その中でも歴史問題に関する質問がたくさんあったということです寄せられました。例えば、広島県の51歳の男性からですがは、「私は過去の残虐行為を詫びる気持ちを持っていますが、首脳会談の都度、日本は謝罪を求められてきました。この謝罪はいつまで続けるべきだとお考えですか」。こういうのような質問に対して、朱鎔基首相は次のように語りました。

 「今回、私は日本の方に謝罪しろと要求していない。ところが、一つだけ申し上げたいことがある。それは日本のすべての正式文書の中で、中国人民に謝罪する内容が一切含まれていない。1995年当時の総理であった村山富市氏が漠然とアジア人民に謝罪の言葉を申し上げたが、日本のすべての公式文書の中で、中国人民への謝罪の言葉が一つも見つからない。そのため、中国政府が果てしがなく、「『謝罪しろ、謝罪しろ」』と日本に要求しているという言い方は過ちである」

 さらに歴史問題について、中国語を勉強しているというオオサワ大沢という若い女性さんは朱鎔基首相に、このような質問をしました。

 「中国の友人から『中国人は忘れる努力を、日本人は忘れない努力』ということを言われたのですけれども、これは非常に大事なことだと思うのです。こういった言葉のほかに、具体的に朱首相が大切だと思われることはなんですか。教えてください。」

 これに対して、朱鎔基首相はつぎ次のように述べています。

 「いかなる人はも歴史を忘れてはいけない。歴史を忘れることは過去を裏切ることを意味する。みんなが歴史とちゃんと向き合うべきである。もちろん、未来に目を向けながら、歴史と向き合うべきである。歴史から教訓を汲み取り、その過ちを二度と繰り返さないようにすべきである。これは中日両国の国民にとって、非常に大切なことだと思う。そのため、我々が歴史を隠ぺいしたり、歪曲したり、さらに改ざんしようとしたりする日本国内の傾向には反対する。このようなやり方はなんのメリットがもない。なぜかというと、このようなやり方は国民が歴史から教訓を汲み取り、より麗しい未来を切り開くことができないからである。そのため、ここで強調したいことがある。ただし、こうした強調と注意はいずれも民族の感情に傷をつけるつもりがはなく、みんなが歴史の教訓を胸に刻み、中日両国が世々代々に友好を続けられるためである。」

 戦後70年以上にが立ちましたが経ちましたが、今、日本国内には、右翼勢力が台頭しつつあり、歴史にしっかりと向き合うことができないばかりではなく、平和憲法を改正しようとする憲法改正の動きも現れてきましたいます。このような背景のもとで、17年前に朱鎔基首相が日本市民との対話で「歴史から教訓を汲み取り、その過ちを二度と繰り返さないようにすべきである」という響きのある言葉を振り返る必要があると思います。

 市民対話の最後に、司会者である筑紫哲也氏は今後、中日両国がどう付き合うべきかについて、つぎ次のように語りました。

 「私最後に一言だけ申し上げたいのですが、日本と中国が次の世紀に手をつないだら、本当に世界のためにたくさんのいいことができると思います。そのために考えなきゃいけないのは、お互いのことをあまりいい言い過ぎること、そして、もう放っておいてもほっておいても非常に愛国的な国民なのに、いたずらに徒に、過剰に愛国心を掻き立てること、それが次の日本と中国の関係にとって、もしかしたら障害になるのじゃではないかという気もいたします。」

 確かに筑紫哲也さんが言ったようにの言葉にあったように、感情的になり、憎み合っても何の得もないのは、中国も日本も同じですことだと言えるでしょう。

 中日国交正常化45周年記念特別番組「国交正常化45年の歩み―あの日その時」。今回は17年前に朱鎔基元首相が日本市民の市民と対話した様子をお届けしました。お相手は劉非でした。

ラジオ番組
10月29日放送分
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