【第12回】スキー交流で結ばれた中日の強い絆(後編)

2018-04-19 12:51  CRI

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 中日国交正常化45周年特別企画 「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。

 今年は中日国交正常化45周年です。この記念すべき年を迎えるに当たり、中国国際放送局は特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」を毎週土曜日にお送りしています。今回は引き続き「スキー交流で結ばれた中日の絆」についてお届けします。お相手は黄競です。

 スキーはロマンチックでスリル満点のスポーツとされていますが、中国では90年代までスキー競技に適した場所が非常に少なかったため、競技レベルはかなり立ち遅れていました。しかし、1980年の第13回冬季オリンピック出場をきっかけに中国スキー界の人々は日々刻苦奮闘し艱難辛苦を乗り越えて、国際舞台の青春と情熱で冬季オリンピック史上において一里塚あるとなる一章を書き記しました1ページを刻みました。また当時、長野県スキー連盟や長野日中友好協会など組織がからは、中国スキー界の発展のために選手やコーチの育成、中古スキー器具の寄贈など無私なの協力がありました援助を与え、選手とコーチの養成でも中古スキー器具の寄贈でも。日本からのサポートはいずれも創成期に当たるの中国スキー界にとってまるで「雪中に炭を送る」ような貴重な支援だと讃えられました。

 これをきっかけに中国スキー協会と長野県スキー連盟がは、中国からの選手とコーチがを長野県で研修訓練する合意を結んでおりび、10数年にわたって中日スキー友好交流の新しい一ページを刻みましたが更に広がりました。

 今現在、中国スキー協会の副秘書長にを勤めている安林彬さんは、この研修訓練に計画の経験者参加した一人として、30年前の長野県でのでの研修生活様子を次のように振り返って、りました。

 「私は第2陣として長野県でのコーチ研修訓練に参加しました。当時、国内で選ばれた優秀な選手とコーチだけがしか長野県に派遣され、スキー訓練を受けることができなかったました。この交流活動は当時、中国のスキーレベルを大いに向上させたと思います」

 また、長野県での研修生活と教えてくれた指導してくれた先生コーチのことがは、今でも安林彬さんの心の中に今でも深くい印象を残しています。

 「当時、教えてくれたコーチは丸山米喜先生です。丸山先生は10年連続して続けてアルベペンスキー(高山滑雪)とクロスカントリースキー(越野滑雪)の中国からの選手とコーチの養成育成訓練に携わり、最初は、みなレベルが低くかったですがかったものの、丸山先生は基礎トレーニングからしっかりと教えてくれて、とてもよかったと思いますから、。今も、毎年日本に行く時に、必ず丸山先生を伺います」と言いました。

 一方、中国人の子弟教え子たちにこれほどまで慕われた敬愛された日本人コーチ・の丸山米喜さんは当時のことをこのように振り返っています。

 丸山さんは1982年から10年間にわたって、中国スキー界に多くの素晴しい優秀な中国スキー選手とコーチを養成し育て、ました。今、これらの方々はすでにやこれらの選手たちは中国スキー界の指導層やスポーツ界の中堅となりましたっています。丸山さんもは現在までもずっと中日スキー友好交流の舞台で活躍し続けています。

 また、中国スキー協会と長野県スキー連盟の合意によりますとでは、研修訓練してきたに来た選手とコーチたちはシーズンになると、地元の旅館や民宿に泊まることになっていますしました。当時、中国研修生選手を受け入れた受け入れ先である白馬村の小さなホテルを営む大塚善弘(おおつかよしひろ)さんは選手たちについてこのように話します長野県の白馬村(ハクバ村)で小さなホテルを営んでおり、当時のことを振り返って。

 シーズン通していたところは訓練が終わりを迎える頃には、中国からの若い選手たちやコーチがはすっかりと各家庭地域にも溶け込んで、春先になって帰国する時には名残り惜しさに、のあまり、泣きの涙ので別れて帰ったものですとなりました。

 1982年からの10年にわたる交流を経て、現在の中国スキーはレベルもアップして、フリースタイルのエアリアルは完全にもう世界のトップクラスになり、クロスカントリーもやジャンプも着実な進歩を見せています良くなってきました。

 また、1998年長野の冬季オリンピック招致が大詰を迎えた頃、開催地として日本の長野選出は危うしいとの見方をが出てきた時に頃、IOC国際オリンピック委員会副会長であっただった何振良さんと伍紹祖スポーツ大臣がそろってから「長野にはスキーで大変お世話になっているので、。ぜひ協力してぜひ実現させたいから頑張ってください」と約束しましの言葉がありましたた。これもは中日スキー交流が実ったもたらした両国の深いつながりを表わしていると言えるでしょう素晴らしい成果だと思われます。

 今も、長野県と中国の交流は各分野で盛んに行われています。その中でもスキー交流は、とても大事なたいへん大事な役割を果たしています。これに対しついて、長野県日中友好協会の事務局長の布施正幸(ふさまさゆき)さんはこう話します。

 中日両国が1979年にスキーで結ばれた友好交流の絆は、きっとこれからも素敵な花を咲かせることでしょう。

 中日国交正常化45周年記念特別番組「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。今回は「スキー交流で結ばれた中日の絆」の後篇後編についてをお届けしますした。お相手は黄競でした。

ラジオ番組
10月29日放送分
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王巍