北京
PM2.577
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1時間目 中日民間交流の底力がここに!~浙江省寧海県で第一回桜祭り
担当:王小燕、斉鵬
今回は3月29日~31日に浙江省寧波市寧海県で開かれた桜祭りでの取材を中心にお送りします。
山を埋め尽くす9999本の桜の木を背に、中日両国の民間交流を兼ねた桜祭りが30日、浙江省寧波市寧海県橋頭胡街道眠牛山公園(「街道」は日本の「町」に相当)で開幕しました。日本各地から60人余りの訪中団が駆け付け、音楽の演奏、書道、生け花をはじめ、街づくりや介護をテーマにした講演会やセミナーを通じての地元住民との交流が、3日間にわたって行われます。
寧海県での桜祭り開催は、今回が初めてです。一昨年、地元で投資する日本の旭東ダイカストグループが町おこしのために、桜の木3399本を寄贈したのを受け、橋頭胡街道はさらに3000万元を出資し、6600本を植樹して桜の園を整備しました。去年の開花を受けて今年、街道が主催する桜祭りを初めて催しました。
開幕式で、橋頭胡街道の関係者が「桜の園は中日両国の厚い友情の結晶であり、双方の協力ウィンウィン関係が長く続くようにという願いが託されている」と語りました。今後は春の定例行事とする予定とのことです。
訪中団メンバーには中国が初めてだという方も多くいました。皆さん、日本国内の満開の桜を後目(しりめ)に、まだ若い中国の桜のために中国の寧海県に集まったのです。どのような人たちが、どのような思いで訪中したのでしょうか。今回は中日の民間交流の底力を十分に感じ取れた、桜祭りでの取材です。(撮影協力:葛紋静)
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2時間目 北京で東アジアの今後を考える~倉重拓さんに聞く(上)
聞き手:王小燕
北京で博士課程の学業を続けながら、大学の日本語教師として活躍している倉重拓さんにお話を伺います。倉重さんは日本の高校を卒業した後に、アメリカに渡り、大学時代をミネソタ州で過ごす。その後、日本に戻って社会人として活躍していましたが、リーマンショックのダメージで挫折を受け、その後、学者になる道を志し、中国留学を決めました。
中国滞在が10年目を迎えた倉重さんは今、瀋陽出身の妻と愛する娘、そして妻の両親と共に、三世代で北京で暮らしています。東アジアの向うべき道とは。これが倉重さんが一貫して抱えているテーマですが、その研究の拠点を何故北京に置いたのでしょうか。高校時代から「日本探しの旅」を続けている倉重さん、シリーズ取材の一回目では自分が学問の道に入った原点を振り返ります。
【プロフィール】
倉重 拓(くらしげ たく)さん
1981年生まれ、東京都多摩市出身。
2000年に東京都立調布北高等学校卒業。2005年に(米)ミネソタ州立大学マンケート校社会・行動科学学部国際関係学科を卒業。その後、日本に帰国し、一般財団法人ラヂオプレスなどでの勤務を経て、10年前に中国北京に渡る。2013年に清華大学人文学院中文系中国近現代文学専攻修士課程を修了。現在は同人文学院中文系中国近現代文学専攻博士課程在籍中、その傍ら、同学院外文系東アジア言語及び文化研究学科群・講師。