北京
PM2.577
23/19
【対話】流行語・新語の変化を考える
新年の「キーワードチャイナ」では、私の同僚である向田和弘さんにご一緒頂く形で、キーワードから見える中国社会の動きをご紹介して行きます。
新たなスタートである2018年の初回の放送に当たる今回では、二人でこの20年ほどを振り返って見ました。
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謝:向田さんは20年前から中国に住むようになって、中国のちょうど変化の激しい20年を見てきたわけですが、その中で言葉の変化について特に感じたこと、或いは気になったことはありますか。
向:新しい単語の生まれる場所が、紙からネットに変わったことを顕著に感じます。同時に、新しい単語の生まれる地域も広がりました。ネットをプラットフォームにすることで、単語自体は確かに瞬時に全国区に広がるのですが、逆に寿命も短くなっている気がします。昔、辞書作りをしていましたからかも知れませんが、私の場合、単語の寿命というのが非常に気にかかるんです。面白いと思っても、気がついたら時代遅れになって消えていることも少なくありませんからね。長く残る「紙と」瞬間で消えてしまう「ネット」と言う、その「媒介」の寿命も単語の寿命に影響しているのかも知れないなと思います。
謝:北京っ子の私も、言葉の激しい変化を感じています。1980年代の末までは、私の周りにはまさに北京語らしい北京語が踊っていたものです。
向:親の世代から受け継いだ地元の言葉をしゃべる人が多かったのでしょうね。
謝:だと思いますね。私と同じ年の同級生や友人はほとんど北京生まれで、しゃべる言葉ももっぱら北京語でした。その後、1990年代になって、北京で各地の方言や方言なまりの「普通話」をしゃべる人が増えてきたように感じます。その中で特に東北弁や広東語の影響を大きく感じるようになりました。さらにインターネットの普及によって、各地の方言や方言なまりをネタにした流行語がかなり出てきたように感じます。例えば「不差钱(お金には問題はない)」、「蓝瘦香菇(=难受,想哭・辛くて泣きたい)」とか。
向:香港や台湾のドラマが多く放映されていたことも原因だと思いますね。あとは、流行していた歌にも影響されますよね。当時「东北人都是活雷锋(東北の人はみんな雷鋒の再来)」なんて歌も流行っていて、かなり東北訛りがもてはやされていた印象があります。これは1995年以降のインターネットやSNSの普及も強く影響しているように思います。その後は、最近に到るまで、政策や経済環境の変化からも新語がたくさん生まれました。例えば、「小目标(小さな目標)」、「共享(シェアリング)」などですね。その一方、一時すごく流行っていて、しばらくしたら言われなくなった言葉もありましたね。
謝:はい。例えば、有名なリアルショー「奔跑吧兄弟(ランニングマン)」から出てきた中英混合の「We are 伐木累(=family・私たちは家族だ)」、「What are you 弄啥嘞(何をしているのか)」もそうですね。番組自体はまだ放送されていますが、この言葉は聞かなくなりましたね。
向:言葉は生き物であり、体の一部でもありますから、生存に適した環境や確かな必要性があれば生き続けますが、そうでなければ、自然と消滅してしまうと言うことですね。
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謝:この番組に参加するにあたっての抱負をぜひ聞かせて下さい。
向:この番組でやるべきこととして、3点考えています。まず、一つ一つの新語に確かな日本語訳を与えること、次に、その背景をできるだけ紹介し、番組をお聞きの皆さんに中国社会の変化にキャッチアップしていただくこと、そして、最後に、言葉を通して中国や日本の未来を考えていただくこと、この3点をみなさんと一緒に形にしていきたいと思っています。是非メールなどでどんどんご意見をお寄せいただいて、言葉の変化を楽しみながら、番組に参加することを楽しんでいただければと思います。