北京
PM2.577
23/19
2017年がまもなく終わり、2018年がいよいよやってきます。新しい一年を迎える時は各国の人々は一家団欒で新年を迎え、地元を離れている旅人は故郷を思うのかもしれません。今回の中国メロディーは引き続き、中国台湾の有名な郷愁詩人・余光中の作品をモチーフにした音楽をご紹介しましょう。
君を待つ、雨の中で
余光中は台湾の有名な詩人、エッセイスト、翻訳者で、今年の12月14日に病気で亡くなりました。享年90歳でした。彼の作品は台湾だけでなく、中国大陸の文壇に大きな影響を及ぼしました。
私が余光中の詩作と出会ったのは数年前です。偶然、彼の『等你、在雨中(君を待つ、雨の中で)』を読んで、すぐに作品の美しい情緒に引きつけられました。
セミの声が沈み 蛙の声が昇る
池の中の赤い蓮の花は燃える炎のようだ
雨の中を君が来るかどうかも同じこと
すべての蓮の花は君のようだ
特に黄昏時は こんな雨の中
永遠 刹那 刹那 永遠に君を待つ
この詩を読んだ時、夏の夕方にある若者が小雨の中、蓮の池のほとりで好きな子を待っている情景が目の前に浮かびました。まるで蓮の花の香りを嗅ぐように、詩人が恋人を待つ時の誠実な気持ちをこの詩作からしみじみと感じさせられました。これが余光中の作品との初めての出会いでしたが、詩人の真っ直ぐな感情は私の心を深く打ちました。
もし僕が亡くなったら
余光中は南京で生まれました。母親は江蘇省出身で、妻は常州出身のため、自分は江南人だと自認しています。9歳の時に戦火を逃れて故郷を離れ、重慶で青少年時代を送り、21歳の時に大陸から台湾に移住しました。彼の多くの作品は故郷への深い思いを感じさせるものです。1966年の冬の夜、アメリカ・ミシガン州立大学で副教授を務めていた余光中は、窓から西の空を眺めて、祖国の大陸への思いを巡らせていました。1948年7月に離れてから、秋風の落葉はもう17回目にもなりましたが、故郷への帰る道は遥かに長いものだったようです。そこで当時、37歳だった余光中は『当我死時(もし僕が亡くなったら)』という詩を創作しました。
もし僕が亡くなったら
長江と黄河の間に埋葬してほしい
僕の白髪の頭は黒い土地を枕にしよう
中国は最も美しく 最も母なる国
僕がそこで静かに眠りにつく 中国大陸の全ては僕のベッド
長江と黄河からレクイエムが聞こえる
滔々と東へ流れる水は魂が安らかに眠る音楽を奏でる
ここは最も楽しく 最も広々としたベッド
僕の心を満足させて眠りにつかせ 気持ちを満たす
これは余光中の詩『もし僕が亡くなったら』の前半部分です。この詩は異郷でさすらう旅人が故郷への深い気持ちを表し、海外にいる多くの中国人の共感を呼びました。
2017年12月14日、余光中は台湾の高雄で息を引き取りました。この異郷でさすらう旅人は最後も異郷で生涯を終えました。余光中は亡くなってしまいましたが、彼がすべての情熱を込めて作った作品は、いつまでも人々の心の中に刻み込まれていることでしょう。
番組の中でお送りした曲
1曲目 等你、在雨中(君を待つ、雨の中で)
この歌は余光中の「等你、在雨中(君を待つ、雨の中で)」をモチーフにした歌です。
歌詞:
もし僕が亡くなったら
長江と黄河の間に埋葬してほしい
僕の白髪の頭は黒い土地を枕にしよう
中国は最も美しく 最も母なる国
僕がそこで静かに眠りにつく 中国大陸の全ては僕のベッド
長江と黄河からレクイエムが聞こえる
滔々と東へ流れる水は魂が安らかに眠る音楽を奏でる
ここは最も楽しく 最も広々としたベッド
僕の心を満足させて眠りにつかせ 気持ちを満たす
2曲目 伝説(伝説)
この歌は余光中の詩「民歌(民謡)」をモチーフにした歌です。歌詞:
北方では一曲の民謡が伝えられている
黄河の肺活量でしかこの歌は歌えない
青海から黄海まで
風も聞こえ 砂も聞こえた
黄河は凍れば氷河になる
また長江には最も母なる鼻音がある
高原から平原まで
魚も聞こえ 龍も聞こえた