12月12日 火曜日

2017-12-12 19:23  CRI

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 1時間目 スペシャル「南京大虐殺から80年~紫金草に託された平和への思い」

 担当:王小燕、斉鵬

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 「紫金草」とは日本で誕生した言葉です。日本では別名は「むらさき花だいこん」、中国名は「二月蘭」、「諸葛菜」です。今では中国語として普及したこの言葉、そして、この言葉であらわす花には忘れてはならない人々の平和への思いが込められています。

 1939年、日本軍陸軍衛生材料工場の工場長を務めていた山口誠太郎が南京の紫金山のふもとで、この花の種を採集して日本に持ち帰りました。戦後、山口さんは戦争への反省と平和への願いを心に抱きながら、家族と共にこの花の普及に努めました。花の名を「紫金草」と名付けました。現在、紫金草は日本各地に広まり、「平和の花」として知れ渡っています。

 「南京大虐殺から80年」にちなんでのスペシャル企画の1時間目の放送では、この4月に、江蘇文芸出版社から刊行された小説「紫金草」に託された思いをお伝えします。

 

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 作者は南京のジャーナリストで、陳正栄さん(55歳)です。陳さんは「自然界には数千万種の花があり、変わったものも沢山ある中で、二月蘭は実は平凡なものです。ある日、二月蘭の背後の物語を知って、私はこの花が好きになりました。このことから、荒れすさんだ時代に鳩が口にくわえて持ってきたオリーブの枝や、第一次世界大戦の時にフランダースの高地に咲いたケシの花を思い起こしました…私はますます多くの方が、二月蘭を好きになってくれることを信じています」と前書きでこう書いています。

 この本は、この4月、日本から南京、泰州を訪問し、公演をした紫金草合唱団の団員、中野勝(70歳)さんにより、わずか半年ほどで全編を日本語に翻訳されました。

 中野さんはこの本について、「歴史的事実を踏まえながら、巧みな場面設定のもとに、綿密な取材で得た材料と豊富な知識を生かして、小説としての面白さに心を配りながら、最後まで読者である私の心を引き付けてくれました」と評価しています。

 また、この小説により歴史を伝えることの意義について、「悲惨な出来事があった時、人々はそれを後の人に語り継ごうとします。それは、ただ単に恨みつらみを述べるためというよりも、再びそのような悲惨なことを繰り返さないで欲しいという祈りが込められているからです…(中略)加害者側は早く忘れたいと思うかもしれませんが、被害者側は加害者側にきちんと事実を認めてもらって、亡くなった人たちの魂を慰めてほしいのです…(中略)"忘れられないことがある。忘れてならないことがある"、この気持ちがあるからこそ、こうした活動が連綿として続けられて来たのではないでしょうか。こうした活動が、今後さらなる発展を遂げていき、日中間の友好と交流がさらに深まっていくことを願っています」と語っています。

 2時間目 紫金草に託された平和への思い~作詞家・大門高子さんに聞く

 聞き手:王小燕

12月12日 火曜日

 「南京大虐殺から80年」にちなんでのスペシャル企画、1時間目に引き続いてお送りするロングインタビューです。合唱朗読構成「紫金草物語」の作詞者で、絵本「むらさき花だいこん」の作者である大門高子さんにお話を伺います。

 紫金草合唱団は、「紫金草物語」を歌うことで、南京大虐殺の史実と向き合い、「不忘歴史、面向未来」を訴えている民間団体です。1998年の日本での初演に続いて、2001年、大門さんは団員200人を率いて南京を訪問しました。大虐殺記念館で献花し、鎮魂歌をささげ、また、南京の地元の芸術団体と共演する形で、大虐殺生存者を含めて、南京市民の前で全曲を歌うことができました。

 その後、16年にわたり、大門さんと紫金草合唱団の団員たちは日本国内での活動だけではなく、毎年のように南京や中国その他の都市を訪れて、歌い続けてきました。

12月12日 火曜日
2017年4月、紫金草合唱団第12回南京・泰州公演の様子

 20年にわたる地道な取り組みをしてきた成果が実り、今、「紫金草」という言葉は南京を中国語として定着し、南京では「紫金草」が平和のシンボルとして様々な記念場面に使われるようになっています。

 大門さんは、どのようにしてこの紫色の花に出会い、その背後にある物語をどのようにして掘り出し、また、それをどのような思いで作品に作ったのでしょうか。被害と加害の歴史がオーバーラップしている複雑な戦争認識がある中で、今回は日本人の加害の歴史に勇気をもって、向き合おうと努力してきた方たちの物語です。ぜひお聞きください。

 【プロフィール】

 大門高子(おおかど たかこ)さ

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 1945年年生まれ。

 生後10日で米軍の爆撃を浴びて、火の中を母に抱かれて逃げ回って助かりました。大人になり小学校教師になりましたが、教え子を再び戦場に送るなという精神を大事にした平和教育と文化活動の取り組みに力を入れた教育をしました。

 実践の中で被害の前に加害の事実があったことを考えるようになり、そんな時に紫金草の新聞記事を目にしました。諸葛菜、花だいこんなどと呼ばれるこの花が南京から持ち帰った花だと知りました。その後、早めに退職し20年ほど取材した後、組曲「紫金草物語」と絵本「むらさき花だいこん」を出版。1998年から、合唱団をたち上げ演奏活動を通した日中友好運動に取り組んでいます。国内での演奏活動と南京、北京、上海、台北など12回の海外公演にも取り組んできました。これまでの500曲の作詞を手掛けてきました。

ラジオ番組
10月29日放送分
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