北京
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「日本人が中国の歌、中国人が日本の歌を歌う、このイベントそのものが友好のシンボルだ。審査員として出られて光栄に思う」
日本のシンガーソングライター、谷村新司さんが10日、中日国交正常化45周年記念行事として北京で開かれた「2017中日歌唱コンテスト」に出席し、以上のように語りました。そして、「どの人も心をこめて歌ったので、楽しく聞かせてもらった」と出場者を高く評価し、「これまで長く続いてきたこの行事は、今後もずっと続くには皆さんの応援が必要だ。長く応援をお願いする」と今後の中日交流に暖かいエールを送りました。
中国国際放送局(CRI)と北京外国語大学の共催による同コンテストは、両国のアマチュア歌手が相手国の言語で歌を披露して競い合うイベントです。審査員を引き受けた谷村さんは、8日に新潟でのコンサートを終えてから北京に駆けつけ、中国人審査員と共に、出場選手の採点と講評を担当しました。コンテストは来場者1000人のほか、ライブ配信サイトの生中継を通じて120万人以上が観賞しました。
エンディングでは、講評を終えた谷村さんが、「出会えたすべての皆さんに感謝の気持ちを込めて、『昴』を送ります」と語り、ピアノの生演奏(石坂慶彦)で代表曲を披露し、空間を越えて、数多くの観客を感動の渦に巻き込みました。
今回のコンテストに出場した中国人選手は、ロック、ポップス、演歌、アニソンなどバラエティに富んだ日本の歌を次々に披露しました。これについて、谷村さんはCRIの取材に対し、「日本人が作った歌を、自分の国の歌のように歌ってくれるということは、歌にとって本当に幸せなことだと思う。歌が国と国とを一番身近に接近させてくれる大事なことだ。どんな時も歌を忘れないで、愛し続けてほしい」と柔らかく微笑みながら語りました。
そして、「45年がまた一つのきっかけになって、これから50年、55年と、ずっと続いてほしいと願う。そのためにできる限りのことをしていきたい」と力強く続けました。
谷村さんは、中国の改革開放初期から現在に至るまで、中国との音楽交流に尽力し続けています。代表的な活動には、1981年に人気バンド「アリス」のメンバーとして、日本の音楽グループ初となる中国単独公演を北京で開催しました。2004年から上海音楽学院教授で教授を務め、2010年には上海万博のPR親善大使として活躍。さらに、2017年6月1日、中日国交正常化45周年ならびにアーティスト活動45周年を記念するコンサートも上海で行われました。
【谷村新司さんインタビュー】
――「昴」は、黒竜江省の夜空を思い出しながら書かれた曲だとも言われていますが…
僕は1980年に、この曲を書いた時には、まだ黒竜江省に行ったことがない。今もまだ行っていないが、冷たい風が吹いているところに、金色の草原が風に揺れていて、空が満天の星の場所を地図で見たら、なんとなくイメージしたところが、この辺だと思いました。今度、ぜひ黒竜江省に行ってみたいと思います。
――本日のコンテストには、遠路浙江省から遥々駆けつけた谷村さんのファンもいますが、中国のファンの皆さんへのメッセ―ジをお願いいたします。
そうやって熱い思いを寄せてくださっている方が中国にいることは、それは、僕が中国という国自体が好きな国になる一番大きな要素なのです。だから、「その国に一人好きな人がいたら、その国が好きな国になる」という言葉を、僕はこれからも忘れない。そんなファンの人たちとできるだけ会える機会を作っていきたいと思います。 (取材・文責:王小燕、星、写真:劉叡)