中国の大学生と共に、横浜を語る~横浜市上海事務所所長・斎藤信明さん(下)

2017-09-13 18:13  CRI

中国の大学生と共に、横浜を語る~横浜市上海事務所所長・斎藤信明さん(下)

 

 

00:00:00
00:00:00

 

 聞き手:王小燕

 横浜港から世界に向かって一番多く輸出しているものは何か、コスモワールドの大観覧車は、最初は何のために作ったものだったのか、赤レンガ倉庫はなぜ1号館と2号館とで長さが異なっているのか、横浜市のGDPの規模は…今回も斎藤所長が中国の大学生と熱い対話が展開されます。ウェブサイトから集まった中国人聴取者の横浜イメージや一押しの堪能の仕方もお聞き逃しのないように。

 横浜の歴史や都市づくりの歩みに関して、斎藤所長がおすすめの本は、『横浜 交流と発展のまちガイド』(南学編著、岩波ジュニア新書)です。以下がこの本からの抜粋です。

中国の大学生と共に、横浜を語る~横浜市上海事務所所長・斎藤信明さん(下)

 【大桟橋(おおさんばし)】

 

 
00:00:00
00:00:00
<

 横浜案内の第一歩を大桟橋にしたことには、二つの理由があります。一つは、1859年、横浜が開港したときに最初につくられた波止場(防波堤)が、この大桟橋の付け根付近にあったことです。この波止場は、その後拡張され現在の「象の鼻」の原型となったのです。もう一つは、大桟橋から横浜の歴史が見渡せるということです。

 【赤レンガ倉庫】

 赤レンガ倉庫には一号倉庫と二号倉庫があり、両方とも、横浜正金銀行(現在の神奈川県立歴史博物館)を設計した建築家妻木頼黄(つまき よりなか)の設計ですが、建てられたのは二号倉庫のほうが早く、1907年に着工、1911年に竣工しました…同じ規模の一号倉庫のほうは、1908年に着工、1913年に竣工でしたが、こちらはのちの関東大震災で約三分の一が崩れてしまいました…二号倉庫には、ドイツから輸入された鋼材(防火扉に使用)と国産の鋼材が使われ、317万500個のレンガを、ていねいに積み上げて建てられました。

 【大観覧車】

 パシフィコ横浜の横にある大観覧車(コスモクロック21)は、1989年に横浜市政の100周年を記念して開催された横浜博覧会のときに作られたものです。博覧会の終了とともに取り壊される予定でしたが、非常に人気があったので、港周辺の雰囲気に合っていたことから、その周辺の遊園地よこはまコスモワールドと一緒に楽しめるアミューズメント施設として位置を移して残されることになりました。

 【プロフィール】 

 斎藤信明(さいとう のぶあき)さん

中国の大学生と共に、横浜を語る~横浜市上海事務所所長・斎藤信明さん(下)

 1977年生まれ

 2002年 創価大学経済学研究科博士課程前期終了後、横浜市に入庁

     横浜市交通局などでの勤務。

 2008年~2010年 経済産業省に出向

 2010年9月~13年9月 浙江大学経済学院博士課程に留学

 この間、2010年に開かれた上海万博の日本産業館の企画イベント「横浜ウィーク」に企画者として参加。2014年2月から 公益財団法人横浜企業経営支援財団に入社し上海に赴任して、現在に至る

ラジオ番組
10月29日放送分
00:00:00/00:00:00
  • ハイウェイ北京<月曜日>の担当者 劉叡琳_fororder_周一刘睿琳130
  • ハイウェイ北京<火曜日>の担当者 王小燕&斉鵬_fororder_周二小燕齐鹏130
  • ハイウェイ北京<水曜日>の担当者 謝東&劉非_fororder_周三谢东刘非130
  • ハイウェイ北京<金曜日>の担当者 劉叡&孟群_fororder_周四刘睿孟群130
  • ハイウェイ北京<金曜日>の担当者 任春生_fororder_周五任春生130
  • ハイウェイ北京<週末篇>_fororder_北京直通车周末篇
特集ダイジェスト
最新コラム

ギャラリー

新華社_fororder_12日中友好協会_fororder_11人民網日本語版_fororder_10人民中国_fororder_9中国網日本語版_fororder_8東方網日本語版_fororder_7JAPAN online_fororder_5
UTYテレビ山梨_fororder_4中華網日本語版_fororder_3東方通信社_fororder_2中国百科検定_fororder_132959111934859451北京観光_fororder_1