北京
PM2.577
23/19
聞き手:王小燕
今回はシリーズ企画「私にとっての戦争と平和」。今日から3回に分けて、元中国人民解放軍日本籍兵士、砂原恵さんの半生を紹介します。
砂原恵さんは1933年、日本人両親の下で福岡に生まれ、6人兄妹の長男でした。5歳の時、父親が当時の「南満州鉄道株式会社」に異動するため、一家で中国の東北部に移住。ところが、日本の敗戦直前の1945年7月、父親が阜新の自宅で病死。その後、母子6人が日本行きの船が出る葫芦島を目指して、引き上げの旅が始まりますが、混乱から逃れるため、結果的に鉄道幹線に近い集落で住みつきました。集落の名は遼寧省北鎮県六台子村蘇家街。その後、「張栄清」と中国名をつけた砂原さんは15歳で、当時の「東北民主聯軍独立第九団「(後の「東北中国人民解放軍」)に入隊。その後、張栄清さんは「中国人民解放戦争」の多くの戦役に参加し、新中国建国後の朝鮮戦争の戦場にまで赴きました。
本帰国は1955年3月。それまで、砂原さんは5歳から22歳までの17年間を中国で過ごしました。
戦争が砂原さんとその一家の運命をどう変えたのか、時代の大きな流れ揉まれながらもたくましく成長し、健気に生き抜いてきた砂原さん。これまでの人生をどう振り返るのでしょうか。中国に多くの友がいて、今も3か月置き中国を訪れている砂原さん。その半生について、3回に分けてお話を伺います。今週はその第1回、大連や阜新で過ごした子ども時代の思い出、そして、敗戦直後の一家の様子などを伺います。
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