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先月15日、1986年にCCTVで放送されたテレビドラマ「西遊記」の女性監督・楊潔監督が亡くなりました。この訃報はベトナムなどの東南アジア諸国のメディアでも報道されました。東南アジア諸国のインターネットユーザーらは「子供時代の夏にテレビドラマ『西遊記』を見ていた日々を思い出す。楊監督に感謝するとともに、彼女のご冥福をお祈りします」と楊監督への哀悼の意を示しました。「西遊記」は海外でも人気がある中国のテレビドラマとして、多くの中国人や外国人の子供時代の美しい思い出となっています。今回の中国メロディーは前回に引き続き、「西遊記」の挿入歌をご紹介しましょう。
夫婦二人三脚の撮影の旅
1982年、中国の女性監督である楊潔監督は、CCTV・中央テレビ制作のテレビドラマ「西遊記」の総監督を任されました。当時50歳だった楊監督は自分の長年の夢だったこの名作を担当できることに感激していましたが、同時にこの重責を担うことができるかどうか心配していました。
この時、彼女より14歳下の夫でカメラマンの王崇秋は妻の夢を支えるため、この撮影チームに参加することを決めました。楊監督夫婦は後ろ髪をひかれながらも、12歳の娘と離れて、6年に及ぶ長く苦しい撮影の旅を始めました。
非難への最高の切り返し
小説「西遊記」の中の名シーンを再現するため、撮影資金が乏しいながらも楊監督はスタッフたちと様々な工夫を凝らして撮影に臨みました。
全国の名山や大河を渡り歩いていた時、CCTV局内から「『西遊記』の撮影ペースが遅すぎる。国家の資金を浪費して、各地で旅行して回っている」という陰口が耳に入ってきました。このような心無い非難に対して、楊監督は素晴らしい作品を作ってこそ、最高の切り返しになると考えていました。
86年版「西遊記」は祖国への礼讃
「西遊記」の制作の中で楊監督は役者を見つけることやロケの撮影、挿入歌の創作など、様々な困難に直面してきましたが、心に抱いた夢を叶えるため、スタッフたちと共に数え切れないほどの知恵と汗を注ぎ込みました。
その後、多くの映画版とテレビ版の「西遊記」が制作されましたが、86年版の「西遊記」が最も祖国の山河や悠久の歴史への礼讃が込められた名作だと言われています。
命がけの空中撮影
この名作を巧みに表現するため、スタッフたちは命をかけて撮影に臨みました。例えば、孫悟空が白骨の妖怪と戦うシーンを撮影するため、楊監督は空軍から農薬を撒く飛行機を借りました。しかし、空撮の設備がまったくない状況だったため、カメラマンの体を縄でハッチに固定させて、命をかけた空中撮影で臨場感あふれる映像を収めました。
伝統に挑戦したオープニング
全精力を注いで制作された「西遊記」がCCTVで放送されると、中国全土で西遊記ブームが巻き起こりました。しかし、「西遊記」の挿入歌に対しては反対の声も上がりました。特に、一部の年配の視聴者は、オープニングの曲に多くの電子音楽が使われているのは西洋化されているとして、中国伝統文化のテーマと合わないと批判しました。ところが、楊監督はこれらの意見を退けて、自分の主張を貫き、最後には多くの視聴者から受け入れられる作品となりました。
純粋な芸術のための創作
後に楊監督は「このドラマの撮影は三蔵が天竺へお経を取りに行くことより辛く苦しいものでした。しかし、この劇は30年間に渡って、今でも多くの視聴者に喜ばれています。それはきっと、名誉や利益のためではなく、私たちが純粋な芸術のために創作したからなのだと思います」と語っています。
番組の中でお送りした曲
1曲目 天竺少女(天竺の少女)
この歌は天竺にいる姫が三蔵法師を恋しく思う気持ちを歌いました。
歌詞:
誰があなたを私のそばに連れてくるのか?
あのまん丸い月
さらさらと流れる泉
私は露が付いた花びらのように
あなたを深く愛している
2曲目 相见难别亦难(会い難く、離れ難い)
この歌は西梁の女王の三蔵法師に向けた深い愛情を歌いました。
歌詞:
会い難く 離れ難い
彼を深く愛しても
あのひとの決意は揺るがない
きっと 現世には縁がなかったのだろう
気を付けてと言っても言い切れない
ただ静かに安全を祈る
3曲目 晴天月儿明(晴れの日は月が明るい)
歌は第18回「冤罪を晴らす為に塔を掃く」の中で、三蔵法師が塔を掃除するシーンに歌ったものです。
歌詞:
禅の心で天下の僧侶を憐れむ
師弟で塔を掃除する
妖怪を追い払い
晴れた空がやってきた