今年はころう島(葫蘆島)百万人の日本人引き上げ60周年にあたります。6月25日、中日両国の代表は中国東北遼寧省のころう島に集り、シンポジウムを開き、平和公園の定礎式を行なって、この歴史的事柄を記念しています。
この日、ころう島百万日本人引き上げ60周年を記念するシンポジウムでは、中国と日本各界から400人余りが出席しました。開幕式で、中国の唐家セン国務委員は講演し「ころう島での百万人日本人の大送還という歴史的な事柄は中華民族の広い心と人道主義の精神を表し、中華民族の大きな度量と優れた品質を表した」と述べました。
これに対し、代表団を率いてシンポジウムに出席した日本の村山富市元首相は「これは、まさに中華民族の大きな度量と中国人民の人道主義精神の表れであり、多くの日本人がこの大送還に心より感謝をし、あつい感動と友情の大切さに涙を流しました」と述べました。
余り知られていないこの大送還は1946年5月から1948年までの間に行なわれたものです。中国の抗日戦争勝利後の初期、人道主義から出発し、中国人民は大量の人力、物資と資金を投入して、一部の捕虜も含んだ105万の日本人を遼寧省のころう島から日本に送還しました。現在、これら送還された日本人には一部はこの世を去りましたが、生きている人も年が取りました。しかし、多くの人はころう島のことを思いだしています。今年83歳の宮崎市に住む市知島敏さん(いちじまさとし)はその中の一人です。その時のことを振りかえって、胸が一杯になるといいます。
「ころう島から舟がでるときには、私は……」
当初のことを振り返れば、日本の侵略戦争による損害を受けた中国人民にとって、日本人を援助することは考えられないことでしょう。しかし、人道主義の立場に立って、日本人民も戦争の被害者であると考えて、中国人民はなにも言わずに、日本人の送還に出来る限りの援助を提供しました。当時、多くの中国人は自ら、飢餓にさらされている日本人に食品を与えました。この送還活動に参加した中国人の陶甄(けん)さんは今年は84歳になりました。当時のことを振りかえながら「これら日本人をそれぞれ東北の所在地からころう島に送って、船に乗るのを待っていました。毎日約2万人を送還しました。私たちの検査は象徴的なもので、彼らに如何なる脅威も与えませんでした」と話しました。
この大送還によって、中日両国人民は人を感動させる偉大な友情に結ばれました。しかし、遺憾なのは、当面の中日関係は日本指導者の靖国神社参拝などの問題によって、行き詰まった状態に陥りました。これに対し、唐家セン国務委員は「日本指導者は歴史や人民と未来に責任をもつ態度で、正しい決定を行い、現在両国関係にある政治的障碍をなくし、中日関係を正常な軌道もどらせるよう希望する」と述べました。
これに対し、村山富市元首相は「私は所謂政冷経熱という今日の日中関係を憂慮しております。一衣帯水の関係にある日本と中国、そして、アジア諸国との関係をもっと真剣に日本政府は考えて欲しいと思っております」と述べました。
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