第三课:你住在哪儿?
第三課:どこに住んでいますか?
胡同と四合院
「胡同(hú tòng,フートン)」とは、北京特有の古い路地です。北京ではほとんどの胡同が紫禁城を中心にしており、その大部分が元、明と清の三つの時代に出来ました。胡同は、はじめは住む人の社会的地位の高さを基に配置され、紫禁城に近ければ近いほど、その住む人の地位は高かったのです。特に、紫禁城の近くの東西にそれぞれある胡同には貴族や高官が住み、紫禁城の南北にある胡同に住むのは一般庶民だったのです。
胡同にはそれぞれ名前があり、それに名目が多く、役所など当時の政府筋の機構、宮殿や寺院、倉庫や作業場、橋、河川、市場、商品や器物、人物の名前、景色や民情などから胡同の名称をつけ、その多くが今でも使われています。
胡同の住民は最初は一族が集まり住んでいたもので、数世代の人々による大家族をなしていましたが、のちに異なる家族が混ざって住むようになることが増えました。北京の胡同の伝統的な住まいは、真中に庭を囲み四方にそれぞれ平屋の建物があるもので、このような配置のものを四合院(sì hé yuàn)といいました。これら四合院はきちんと建ち並び、東西南北と方向がはっきりしていて、それぞれ並んだ四合院を両側に分けて続く横丁が胡同なのです。このような伝統的な秩序ある配置は、中国の北方では代表的な住まいの一つになったのです。
四合院の歴史は長いのですが、近年では、近代化した都市作りによって、これまでの空間が破壊され、一部の住民は新しい住まいに引っ越してしまいました。ですから北京という古都の姿を残し、伝統的な特色を維持するため、北京の都市計画には、20本以上の胡同を残して歴史と文化の保護区にすることが規定されています。胡同は、いまの北京の中心地では主な面積を占め、市街区では3分の1の住民が胡同に住み、いまでも昔からの生活様式を維持しているのです。胡同は数百年もの歴史をもち、昔と年配の北京生まれの人々の暮らしを綴る歴史のシンボルとなっていますが、その独自の建築的風格と魅力はますます多くの内外の観光客を引きつけているのです。