野球プレ大会試合後の記者会見で通訳を担当(右から2番目)
中国と日本の交流が深まる中、中国では日本語を学ぶ人が年々増えています。このコーナーでは、毎回、日本語を学ぶ学生をゲストに招き、日本語の魅力や、彼らの活動などを紹介します。今回は、北京外国語大学大学院生1年生、張イさんです。
Q:自己紹介をお願いします。
A:張イと申します。出身は河南省の省都・鄭州市。今は、北京外国語大学大学院1年生です。
Q:張さんは子供の頃、日本で生活したことがあるそうですが。
A:そうなんです。小学5年生から中学2年生まで、4年間名古屋にいました。実は、私が9才の時、父が名古屋に留学することになりました。そのあとを追って、家族で日本へ渡ることになったというわけです。日本の学校に通っていたんですけど、いろいろ楽しい思い出があります。まず印象的だったのは、日本の小学校の先生ですね。日本の小学校では一人の先生がすべての科目を教えてくれるんですよね。たとえば、算数、物理、国語、体育、音楽。「なんでもできてすごいなあ!」と驚きました。なかでも松村先生という方は、教室に中国語と日本語の対照本を用意してくださいました。私は当時日本語がまったく分からなかったんですが、その本をめくりながら一生懸命会話しようとしてくださいました。本当に親身に世話してくださって、とても感謝しています。
Q:普段、友達と何をして遊んでいましたか。
A:日本では放課後、友達と野球をして遊んでいました。中国では野球をしたことがなかったので、とてもいい経験になりました。とにかく、日本の友達と一緒に、普通に生活していました。そのうち日本語も分かるようになって、もっと楽しくなりました。残念ながら、当時の友達とは今は音信が途絶えています。でも、機会があればぜひ会いたいと思っています。連絡先が分かったら、彼らとまた再会したいですね!
星野監督と記念写真(左)
Q:話は変わりますが、張さんは中学2年生のときに中国に戻ってきたそうですね。中国に戻ってきてからはどうでしたか?
A:中国はとにかく受験が厳しくて、学校の勉強もスピードが速い。ついていくのが大変なうえ、教科書も日本のとは違うし、初めは慣れることができなかった。その結果、1年留年することを決めました。日本でも、進学校とかだとそれなりに厳しいと思いますが、中国は比べ物にならないと思いました。たとえばですが、日本では毎日午後の3時か4時には学校が終わって、家に帰って遊ぶことができました。でも、中国に帰ってきてからは、夜9時まで学校がありました。毎日勉強ばかりで、それはけっこう辛かったです。
Q:その後は高校を経て、2003年、北京外国語大学に進学されました。いまはどんな学生生活を送っていらっしゃいますか。
A:勉強はもちろんですが、勉強以外の活動にも積極的に参加しています。たとえば、日本語スピーチコンテストに参加したり、来年の北京オリンピックを前に通訳ボランティアの活動もしています。いま北京では、オリンピックのプレ大会が各会場で開催されています。特に、私は日本にいたころ野球をしていましたから、野球競技の日本語通訳をやらせてもらっています。中国には日本語の出来る人はたくさんいるんですが、野球がそれほど普及していないので、野球の通訳が出来る人が少ないみたいです。だから、すごく評価していただいています。日本にいた時の経験を、思わぬ形で活かすことができて、うれしいですね。
Q:では、オリンピックの本大会で、通訳の仕事ができるといいですね!
A:できれば挑戦したいですね!オリンピックには、日本のスター選手がたくさんくると思うので、すごく楽しみにしています。中国が相手のとき以外は、日本チームをどんどん応援していきたいと思っています。(担当:任春生)
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