今週の番組は北京の大晦日の花火と爆竹、それに湖南省長沙市の木簡博物館のことについてご紹介しています。
一、北京の大晦日の花火と爆竹
旧暦の大晦日(2月17日)の夕方6時ぐらいから、花火と爆竹の音が相次いで聞こえました。夜8時から深夜零時まで、花火と爆竹が集中的にあげられ、その轟音が響いて、空気の中にも硫黄のにおいが漂っていました。部屋の中で、テレビのボリュームを最大にしても、番組の音声がぜんぜん聞こえないほどでした。ベランダの窓ガラスまで震えて、爆撃じゃないかと思えるほど大きな音でした。
1993年から北京市内では、全域で花火や爆竹をあげることが禁止されてきました。一昨年つまり2005年の春節から解禁となり、それまでの全域禁止から市内3万箇所の指定された場所では挙げられるようになったのです。今年は解禁されてから3年目です。
解禁される前も、国慶節、香港返還、マカオ返還、2008年オリンピックの招致に成功したことなどを祝うため、北京では盛大な花火大会が行われたことがあります。いずれも政府の主催によるもので、天安門広場付近など限定された場所で行われたものでした。時間にも制限があり、長くても数時間で終わるものでした。しかも、春節期間中ではありません。そんなことから、花火と爆竹のない春節は特にさびしいとみんなが文句を言っていました。
春節期間中、北京市民が自分の家の前でそれぞれ花火大会を行っていたとも言えるでしょう。時間の制限がありますけど、大晦日と旧正月1日の2日間は48時間上げ放題です。旧正月2日から15日までは毎日朝7時から深夜零時まではあげ放題です。
春節は中国人にとって、一家団欒の代名詞です。花火を上げることで家族にもたらされる楽しみは一番大事です。
二、湖南省長沙市の木簡博物館
中国では、古代、紙が発明される前までは、竹や木の板にいろいろな事を記録していました。これらの板や札は簡と牘と言います。簡には、木と竹が使われています。竹の簡はよく見られますが、長さ20センチ以上で、幅がおよそ1センチです。牘は、木で作られた板で、簡とほぼ同じ長さですが、幅が簡より広いです。昔の本は、この一枚一枚の簡や牘を紐で綴ったものです。
湖南省の長沙市にある長沙簡牘博物館は、敷地面積1万4000平方メートル余りで、昔の遺跡を元に建てられたものです。1996年、長沙の走馬楼という遺跡を発掘した時、今からおよそ2000年前の魏、蜀、呉という三国時代の呉の国の木簡と牘を10万枚ほど出土しました。その数は20世紀それまでに出土したすべての簡と牘よりも多かったのです。
宋少華館長の話によると、それまで湖南省で出土した文化財は青銅器、鉄器や陶磁器などで、簡と牘などは稀でした。このため、これら出土した簡と牘は、湖南省と全国の考古学の専門家を喜ばせました。湖南省の簡と牘は、殷墟の甲骨文、敦煌の壁画に継ぐ「20世紀考古学の大発見」だとされています。
この博物館は2005年にオープンしましたが、一週間だけで10万人もの見学者を引き付けていました。その後、遺跡の片付けと博物館の周辺環境の整備がまだ終わっていないため、また閉館となりました。正式にオープンするまで、まだ時間がかかるそうです。(作成:姜平)
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