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中国と日本の間にまだ国交正常化がなされていない1965年、日本から第一次訪中学生参観団が中国にやってきました。
当時の日本政府は、自国の青年学生が共産主義に影響されることを恐れ、パスポートを発給しないなどの強制措置を取り、訪中を阻止しようとしました。しかし、訪中団のメンバー126人は、毛沢東主席が率いる人民中国をぜひ見たいという意思をつらぬき、中国へ旅立ちました。
中国にいる間、各地熱烈な歓迎を受けました。毛沢東主席をはじめ、当時の国家指導者の接見も受けたそうです。
8月15日から29日まで の半月間の日程を終え、深センから香港に入ったときです。訪中団メンバーを中心に友好団体を作りたいという思いが、彼らの中に芽生えました。こうして、「斉了(チイラ)会」が誕生したのです。
「斉了会」という名前の由来ですが、訪問中、ある場所を見学し終わって集合したとき、ガイドさんと「皆、揃いましたか」「揃いました」というやりとりをすることが多々ありました。この「揃いました」を中国語でいうと、「斉了(チイラ)」。団員たちが中国滞在中、たびたび耳にしたこの言葉が会の名前の由来になったのです。
今年、「斉了会」は設立40周年を迎えました。田中健生さんが率いる「斉了会40周年訪中団」は8月26日、北京に入り、もう一回当時の足跡を訪ねることになりました。
北京に到着後、訪中団一行は早速「中国人民抗日戦争記念館」を見学しました。夜は、中国の旧友や、「斉了会」北京事務所のメンバーたちと一同に集まり、「懇談会」を開きました。
席上の挨拶で、田中団長は、昔を振り返りながら「あれからそれぞれ学校を出て、中国に関わる仕事に付いている人もいれば、直接中国に関わりがないが社会で活躍している人もおります。それでも、いつも心の中に、日中友好を念じている人ばかりではないでしょうか」とした上で、「中国人民抗日戦争記念館」見学の感想について、「毛沢東主席、周恩来総理などの肩書きには、必ず"抗日戦争当時○○であった"というように書かれておりました。将来は周恩来総理、郭末若さんなんかには"日中友好に努力した"というような肩書きを入れてもらえる時代になればいいなと思いました」との願いを語りました。
当時、中国国際旅行社総社・日本部部長を務めていた席振寰氏は、中国側を代表して挨拶し、「かつて周恩来総理はおっしゃいました。水を飲む時、井戸を掘った人への恩を忘れてはならない。毛沢東主席、周恩来総理、田中角栄首相は皆井戸を掘った人です。そして、「斉了会」メンバー800人もまた井戸を掘ったひとなのです」と語りました。
続いて、第三次・第四次学生訪中団副団長であった喜多村恵子さんが乾杯の音頭をとりました。フランスに留学して中世フランスを研究するつもりだった喜多村さんは、1996年初めて中国人女性に出合いました。これがきっかけで、喜多村さんの人生が大きく変わりました。中国を理解するために彼女は中国語を勉強することにしました。それから、通訳として、ずっと中日交流に貢献してきましたが、いまでは中国・長春市で、ソフトプログラマ?のために日本語を教えているそうです。「私には子供がいないけど、中国にきて沢山の子供ができました。死ぬまで中日友好のため頑張ります」との熱く感動的な音頭で、全員が中日友好のために乾杯しました。
晩餐会で、両国の友人達は杯を交わし、昔話を語り合いました。時には、どこからともなく、60年代に流行っていた懐かしい中国の歌を口ずさむ人も現れ、やがて皆で盛り上がって大合唱となりました。なかなか感動的な雰囲気でした。
食事中、私はチャンスをうかがい、今回の訪中団副秘書長・佐藤ナオさんにインタービューさせていただきました。東北の吉林市で生まれた佐藤さんは、1966年、「私の生まれたところはどんなところなのかを見てみたい」と思い、訪中団のメンバーとして、再び中国の土を踏みました。「びっくりした。カルチャーショックを受けた(佐藤さん)。」卒業後は、旅行社に努め、ずっと学生訪中団のことをフォローしてきました。中日交流について、佐藤さんは、「実際中国に行ってみると、日本で報道されているような中国とやっぱり違う。・・・ここに住んでいる人と話をしたり、食事をしたり、いろいろ交流すると、そこから友好関係が生まれる。…やっぱりお互いが行き来しないとだめですね」と感嘆しました。そして、「子供たちが私達の思いを引き継いでくれれば、この友好関係は子々孫々続いて行くんですが」との思いを語っていました。
懇談会も終りに近づくと、李毅先生の呼びかけにより全員で「団結こそ力」(誰でも知っている有名な60年代の歌)を合唱することになりました。
この歌は、彼らのためにあるような歌だと思います。困難な情況の中で、訪中が実現できたのは、中日両国の関係者の団結力の賜物ではないでしょうか。
歌を歌っている間、皆さんの頭の中には40年前の祖国、40年前の夢、40年前の青春のことが浮かんでいたことでしょう。まだ若い彼らが、いかなる情熱で中日友好のために尽力したのかはかりしれません。
懇談会は友好的な雰囲気で終わりました。訪中団一行は早速夜行列車で、かつて滞在した街の一つ太原へ向かいました。
彼らを見送りながら、私はつくづく感じました。中日両国の平和を愛する人たちがこのように頑張っているからこそ、国交正常化が実現され、友好的な関係が保たれてきたのではないでしょうか。
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