北京パラリンピックの開会式は先週土曜日の6日に行われました。147の国と地区からの4000人以上の選手、2500人以上のコーチや審判員及び4000人ぐらいの記者は北京に集まっています。そして、4万4千人のボランティアは今回のパラリンピックにサービスを提供しています。そのうち、一部のボランティア自身は体の不自由な方です。
パラリンピックの選手村の総合診療所に、60人のボランティアが各国の選手やコーチに漢方マッサージのサービスを提供しています。そのうち、10数人は目の不自由な方です。北京放送の記者はこのほど、これらの人を取材しました。
今年26歳の盧新さんは湖北省武漢の出身です。若いわりに、盧さんは6年間も漢方マッサージに携わってきました。
「漢方マッサージは中国の伝統的な医学です。副作用がないし、マッサージによってつぼに刺激を与え、筋肉の疲れや、体のストレスを解消することができます。これは、中国独特のサービスとも言えるでしょう。私は目が見えませんが、ボランティアとしてパラリンピックに参加する選手やコーチ、外国の友人にサービスを提供することができて、本当に光栄だと思います。このチャンスを利用して、中国の漢方医学や、漢方マッサージの素晴らしさを外国の友人に見せたいです。」
19歳、大学一年生の時、盧さんは難病にかかって、遺伝子の変異で網膜が感染し、目が見えなくなりました。その後、西洋医学を専攻する盧さんは漢方マッサージを勉強するようになりました。6年前、盧さんは北京に来て、漢方マッサージ医院に勤めました。目が見えなくても、盧さんの人生は暗くなりませんでした。
「人生に対する態度は、何より大事だと思います。生きているからこそ、夢や希望を失ってはいけませんね。目が見えなくなったことは、もう変えられない現実です。泣いたり落ち込んだりしても、何の役にも立ちません。むしろ楽観的に強く現実に対応したほうがましです。幸いなことに、いろんな人々は、私たち体の不自由な人を温かく助けて、見守ってくれました。健全な方と比べると、私たちの体は本当に弱いけれど、精神的な弱者ではない。むしろ、体が不自由だからこそ、精神的に、もっと、もっと豊かになりたいです」
北京オリンピックとパラリンピックの期間中、これら体の不自由な方は自らの技能を生かして、ほかのボランティアと同じように、世界各地からの選手やコーチ、友人にサービスを提供しています。
北京市盲人マッサージ指導センターによりますと、ボランティア募集のとき、北京市では、500人以上の目の不自由なマッサージ師が応募しました。いろいろな選考を経て、10数人が最終的に選ばれました。
陳慧英さんは北京生まれの人です。生れ付きの弱視で、陳さんは1メートルぐらい離れたものさえ見えませんでした。1年前、陳さんは北京聯合大学特殊教育学院を卒業し、北京マッサージ医院に就職しました。北京オリンピックとパラリンピックにボランティアとして参加できることは、陳さんにとって、一生忘れられない思い出となります。
「ボランティアになるには、いろいろ厳しい試験がありますよ。基礎知識の筆記試験とか、面接とか。オリンピックやパラリンピックに関する知識が必要であるほか、外国語の能力も厳しく要求されています。外国人の選手たちにサービスを提供するとき、外国語で喋ることは基本ですから」
パラリンピック期間中、陳さんは外国の選手やコーチに、漢方マッサージのサービスを提供するほか、外国語で漢方医学の豆知識も紹介しています。選手やコーチがくれたパラリンピックの記念バッチは陳さんにとって、何よりのご褒美です。
「私のマッサージによって、選手の筋肉痛や疲れが取れるなら、何より嬉しかったです。多くの外国人の方は中国の漢方マッサージを高く評価してくれました。ボランティアの一員として、本当に心から誇らしく思っています」
陳さんと同じように、パラリンピックの選手村で働いている多くの体の不自由なボランティアは外国語が話せます。しかも、彼らの一部は独学で英語などの外国語を習いました。
「私たちのマッサージを楽しんでみてください。体がリラックスできるように頑張りますから。また、北京で楽しく過ごすよう、ご健勝をお祈りします!」(翻訳者:Lin)
|