今週、北京オリンピックの聖火は、ロンドン、パリとサンフランシスコでのリレーが終わり、現在はアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスに到着しています。
ロンドンは、聖火の海外リレーでは4番目の地区で、現地時間6日の午前10時半から、ロンドン北西部のウェンブリー・スタジアムを出発し、海外リレーでは最も長い距離である約50キロを80人のランナーが走りました。
この日、ロンドンは大雪が降ったにもかかわらず、数十万人が街頭に出て聖火を迎えました。イギリスのブラウン首相はダウニング街の首相官邸前で聖火を出迎え、またイギリス王室のアン王女がリレーの終点で行われた式典に出席しました。
ロンドンでのリレーを終え、北京五輪の聖火が、7日、5番目のリレー地となるフランスのパリに移動しました。リレーの途中、チベット独立分子からの妨害がありましたが、地元の華僑・華人やフランス国民の応援を受け、聖火リレーは無事に終了しました。
現地時間7日午後5時30分、最終ランナーが聖火を揚げながら、最終地点のシャルレティ競技場に入り、聖火台に聖火を移しました。客席からは大きな拍手が沸き起こりました。その後、北京オリンピック組織委員会の蒋効愚副議長が挨拶に立ち、「オリンピック精神を伝えるため、中国人のオリンピックへの情熱と、近代オリンピックの父であるクーベルタン氏への尊敬の念を表すため、我々はパリへ来た」と語りました。
しかし、今回のリレーは、チベット独立分子に妨害されました。彼らは、聖火ランナーを襲ったり、トーチを奪い取ろうとしたり、消火器で聖火を消そうとしたりしていました。
パラリンピックの選手の一人、金晶さんは車椅子で聖火リレーに参加しました。
彼女は上海出身で、今年27歳です。小学校3年生のころ、金さんは、足に悪性腫瘍ができたので、足を切断せざるをえなくなりました。20歳のころ、彼女は上海市車椅子フェンシングチームに参加し、パラリンピックの選手になりました。その後、金さんは、韓国、ニュージーランドなどで行われた世界レベルのフェンシング試合で好成績を収めました。2006年、彼女は車椅子に乗ったままで、上海テレビ局の主催による社交ダンスのコンテストに参加し、決勝まで進出し、優勝を果たしました。
この金さんは、聖火リレーの途中、次のランナーにバトンタッチしようとした時、チベット独立分子に襲われました。そばにいた通訳担当の韓氷さんは、「数人が、金さんが持っているトーチを奪いに来た。また、金さんの髪や服をつかんだり、腕を引っ張ったりしていた」と当時のことを振り返りました。
伴走者と警察が一生懸命に保護した結果、トーチは奪われず、金さんもケガがありませんでした。
精神的なショックを受けた彼女は当時のことについて、「私が襲われたことは、車の中で待機していた他のランナーたちも、はっきりと見ていた。リレーを終えて車に戻ったとき、皆がフランス語で『頑張れ』と言ってくれた。雰囲気はすごくよかった。また、道端で国旗を振る留学生の姿を見て、感動した」と語りました。
この日は、パリに在住する中国人留学生や華人・華僑たちが、応援にやって来ました。彼らは、国旗を振りながら、中国語とフランス語で「頑張れ」、「ようこそ北京へ」と大声で応援していました。チベット独立分子の挑発に対しても、みんな冷静さを保っていました。リレーが終了した後、ランナーを務めたヘスさんが、取材に応じてくれました。彼女は、フランスで有名なパラリンピックの水泳選手で、これまで5回パラリンピックに参加して20個の金メダルを獲得しています。
国際オリンピック委員会選手委員会のメンバーでもあるヘスさんは、「走っている時、拍手も、罵声も同時に聞こえた。確かに、誰にでも言論の自由がある。だが、ランナーを尊重してほしい。聖火リレーやオリンピック大会に参加する人は、多くの努力をしてきている。彼らは、尊重されるべきだ」と語りました。
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