10月28日、中国全国政治協商会議副主席で、香港の実業家でもある霍英東氏(かく・えいとう)が肺がんのため、北京の協和病院で死去。享年83歳。11月7日、香港で告別式が行われました。
本籍は広東省番禺県で、1923年、香港で水上生活を営む貧しい家に生まれました。家庭が貧乏だったため、6歳まで靴を履いたことがなかったと言われています。7歳で父親と死別し、教育重視の母親に育てられ、クラスでトップの成績を保ち続けていましたが、1940年代、日本軍の香港侵攻で学業を断念せざるを得ませんでした。その後、肉体労働者として様々な業種を経験し、戦争終了前まで小さな雑貨店を経営していました。
中国本土では、「赤の資本家」として知られています。朝鮮戦争時代、国連の対中国物資禁輸を背景に、地下ルートで対中国の戦略物資を輸送することにより資本が蓄えられたものの、米英政府から長く制裁を強いられました。その後、不動産業を手がけ、独自の先物販売の方式で成功を収め、海運、カジノ、石油、百貨、リゾートなど幅広くビジネスを展開しました。
改革開放後、霍英東氏は一番乗りで中国本土に投資した香港企業家となり、中国初の合弁ホテル、ゴルフ場及び中国人の設計・建造・管理による初の五つ星ホテルを作り、話題を呼んでいます。その投資活動は珠江デルタ地区の開発、ひいては、全中国の改革開放を積極的に推し進めました。
資産家になった後も、質素な生活を送り続け、数十年にわたり、社会慈善活動に力を入れてきました。これまでに、インフラ整備から身障者福祉基金の設立、体育館の建造まで、中国本土に寄贈した寄付金は総計150億元に上っています。
1983年、リンパ癌と診断され、香港で手術を受けました。20数年間、闘病生活を送り続け、2003年、ガンの再発が確認されました。生前、「自分の人生に何点をつけるのか」という記者の問いに、氏は「100点じゃ足りないな。最低でも100点つけられるね。だって、私は自分のためにだけじゃなく、大勢の人のためにもお金を稼いできたからね」と、当意即妙の答えが返されてきました。(YAN)
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