北京で「漂(さすらう)」している若者たちにとって、仕事を換え、家を引っ越すことは、ほとんど日常茶飯事です。彼らはだいたい友人に、名刺ではなく自分の携帯電話の番号を渡します。だが、あとでそこに電話しても、彼がその会社にいるかどうかはわかったものではありません。
5歳の安徽省出身の張東輝は、2004年、北京の大学を卒業し、ガールフレンドの「簡」と北京に残りました。「簡」は「ジェーン」のことで、近ごろ、英語の名前を名乗る若い娘がかなりいます。
張東輝は最初、PR関係の会社に勤めたが、一年もしないで自ら会社を辞めました。その理由は、仕事がきつく、夜の11時、12時まで残業しなければならないことが多かったからです。
会社を辞めた後、彼はすぐに、全国でトップテンに入る大きなPR会社に入りました。最初、彼は、こんな大企業に入社できて、メンツが立ったと感じました。しかし少しして、彼はまた鞍替えしました。その原因は簡単なことでした。以前の小さな会社では、彼は良くも悪くも一つのプロジェクトのチームリーダーだったが、いまの大企業では、大学で管理学を学んだのに、瑣末な事務をさせられるだけです。それが彼の気持ちをアンバランスにさせたのでした。
この後、彼はまる5カ月間も家でぼんやりしていました。初めのうちは、多くの会社が彼を面接試験に呼んでくれたが、みんな辞退してしまいました。どれも自分の理想に達しないと感じ、もう少し待って、ゆっくり仕事を選びたいと思ったのです。
しかし、時が経つうちに、彼もじっとしてはいられなくなりました。「家にいたあの時が、非常に辛かったです。毎日、家でパソコンやテレビのスイッチを入れたり切ったりしていました。そうしなければ部屋の中を行ったり来たりして悶え死にしそうだった。だから急いで、小さな会社と契約したんです。実は早くからこの会社に行き、履歴書を渡していて、会社側もほしいと言っていたのに、私は行かなかったのです。今度また履歴書を出したら、また採用してくれたんだ」と彼は言いました。
そして思わず笑いがこみ上げてきたのか、ひとしきり笑った後、「もっとも不幸なことは、私はいま、また『分に安んずる』ことができなくなり始めたことなのです」と付け加えました。(『人民中国』より)
|