今度は「水を得た魚の如し」です。これも「三国志」の「蜀書・諸葛亮伝」から来たということです。
「水を得た魚の如し」
後漢の末期。天下は大いに乱れ、各地では勢力の強いものが争いあっていた。劉備は天下統一という夢をかなえるため、多くの人材を集めており、特に隆中の臥隆崗に引きこもっていた諸葛孔明を得るため、なんと二度も会いに行ったが、諸葛孔明は留守だという。そして三度目に会うことができ、必死になって己の夢を説明した挙句、やっとのことで孔明を得ることができた。
こうして劉備は孔明を軍師にしたが、その信頼と重用のほどが非常なものであったことから、劉備の義兄弟である関羽と張飛は不快を覚えた。
「関羽の兄貴よ!劉備の兄貴はどうかしてるぜ。あの若い孔明を軍師に仰いでからというもの、毎日一緒にいて、弟の俺たち二人を相手にしなくなったぜ。劉備の兄貴は頭がおかしくなったんじゃないな?」
「そうだな。ちょっとやりすぎだ!劉備の兄はわしら三人が義兄弟になったことを忘れたのか?本当に!」
「よし、明日にでも劉備の兄にわしらの不満をぶつけてやる」
これには普段は落ち着いている関羽も黙って首を縦に振った。こうして次の日、関羽と張飛は久しぶりに劉備に呼ばれたが、正直者で短気な張飛は文句を言い出した。これに劉備は微笑みながら次のように答えた。
「ふふふ!関羽、張飛、おまえたちにはことの意味がわからんのか?」
「兄よ。わからんから不満を言っておるのだ」
「はは、いいか、軍師はこの世に又とない人で、軍師の知恵にたよってこそ、わしたちの天下統一という夢をかなえることができるんじゃ。私が孔明を得たことは、魚が水を得たようなものだ。お前たちは喜ぶべきだぞ!」
こういって劉備は孔明を得たことの意義を関羽と張飛に詳しく言い聞かせたので、二人はやっと納得したそうな。
ということでした。
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