で、最後は、「後生畏るべし」です。これは「論語・子罕」から出たものです。
「後生畏るべし」
時は春秋時代。孔子は牛の引く車に乗り、遊説のため国々を回っていたが、ある日三人の子供に出会った。そのとき二人の子供は取っ組み合って遊んでいたが、もう一人はその様子を道端で見守っていた。そこで孔子は道端の子供に聞いた。
「お前はどうしてあの二人と一緒に遊ばないのか?」
これにその子供はまじめな顔して答えた。
「だって、あんな取っ組み合いをすれば、そのうちに真剣になって死に物狂いになりやすく、下手すると相手の命を奪ってしまうかもしれないよ」
「なんと?」
「それにふざけていても、不意に力が入って怪我するかもしれないもの」
「怪我をな」
「また、取っ組み合いで服でも破られたら損するからね」
「ふん、ふん」
「だからおいらはあのふざけるのか好きな二人とは遊ばないのさ。当たり前だよ。おじさん」
これを聞いた孔子は考え込んでしまったが、そのうちにその子供は、土で道の真ん中に砦を作り、その砦の中に座り込んでしまった。これでは孔子の乗っている牛車が通れない。
「おいおい!お前がそこに座り込んでしまえば、私の牛車が通れないではないか」
「ええ?おじさん何を言ってるんだい?」
「私が言ったことがおかしいか?」
「おかしいよ。だって昔から車は城や砦をよけて通るというじゃないか。それなのに砦や城が車を避けるのかい?おかしいよ」
これに孔子は目をみはった。
「お前はまだ子供なのにたいしたものだな?誰に教わったのだ?」
「誰も教えてくれないよ。ただ大人から聞いたのは、魚は生まれてからすぐ泳げるし、ウサギは生まれて三日後にはもう走れるんだろ?それに子馬は生まれると三日後には野原で親馬について走り出すというじゃないか」
「なるほど」
「こんなことは当たり前のことだろ?なにも不思議じゃないからね」
これを聞いた孔子は目を細めてうなったという。
「後生、畏るべし!若い者は将来どんなに偉くなるか分からない。恐ろしいことよ」
ということでした。そろそろ時間のようです。では来週またお会いいたしましょう。
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