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第3回セントルイス大会
   2006-04-14 09:39:56    cri

 1902年、IOC(国際五輪委員会)は、第三回オリンピックの開催地にアメリカのセントルイスを選んだ。

 セントルイスは、ミシシッピ川に隣接し、交通便利、工業も発達している。

 参加国はわずか13ヶ国、史上最少。欧州大陸とも海で隔てられているので、欧州からの選手はわずか41人。参加者689人のうち、開催地アメリカからの選手がもっとも多く533人。続いて、カナダが41人。外国人選手が少ないので、ボクシング、レスリング、アーチェリー、テニスなどの出場者は、全てアメリカ人で、「米国五輪」とも揶揄された。

 慣例では、五輪の開幕式と閉幕式に開催国の元首とIOC会長が出席すべきであったが、今大会には、当時のルーズベルト米大統領、グーベルタンIOC会長のいずれも参加しなかった。これも近代五輪の中で唯一だ。

 前回のパリ五輪と同じ、セントルイス五輪も万博と同時に開催された。セントルイス市民たちはオリンピックより万博に興味を寄せ、観客は非常に少なかったそうだ。最も注目された競技でも、観客が2千人に達しなかったとか。オリンピックが、万博の付属品になり、宣伝の道具に過ぎなかったことの現れである。

 陸上競技は、ワシントン大学セントルイス分校で行われた。競技場のレーン全長は536.45M、そのうち、ストレッチは220Mに達し、当時世界最長だった。

 陸上では、16種目で大会記録、2種目で世界記録が更新された。主催国アメリカが陸上25種目で、23個の金メダルを獲得。アメリカの大学生ジョジ・ボガが200M、400Mハードルで銅メダルを取り、五輪史上初めての黒人メダリストとなる。

 水泳は、人口の池で行われた。第一回は海、第二回は川の急流で行われたが、競技環境はいくぶん進歩した。

 セントルイス五輪に対しての評価は人によって異なる。しかし、パリとセントルイスの2回のオリンピックを通じて、IOCとスポーツ界の有識者は「オリンピックを万博と一緒に行うのは失敗である」ことでは意見が一致した。万博を利用して知名度を上げるどころか、万博に埋没してしまう危険性が高いということである。

歴史
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