日本に来て早くも二年以上になったが、この間印象に残ったものは何だろうと度々聞かれる。それは美味しい日本料理ではないし、にぎやかな町の風景でもない。なんと言ってもやはり日本のお祭りである、といつもこう答えるのである。
8月の初めに見た青森県のねぶた祭りは深い印象を与えてくれた。その余韻が冷めないうちに、輪島市のご招待により、8月末、石川県能登半島を訪れ、輪島塗や輪島大祭などをこの目で見てきた。
羽田空港から飛行機に乗り、約一時間で能登空港に到着。迎えに来た現地の方々の案内でバスに乗り輪島市に向かう。車窓から見た木々の緑と空の雲はとても大都会の東京では味わえないものがあり、うきうきした気持ちになった。
輪島市は、人口が3万3800人余り、世帯数が1万3138世帯、平均して一世帯に3人という計算になる。輪島市の特産物と言えば輪島塗だということは知っていたが、それを作る現場を訪れるのは初めてだ。輪島塗は重要無形文化財として、世界でもその名が知られている。輪島工房長屋を見学した。説明によると、ひとつの製品を完成させるまで、少なくとも20工程100以上もの手数を要するそうで驚いた。すぐ後ろの棚に木地からでき上がったものまで並べられ、すぐに分かった。輪島塗がなぜ高いかということも分かった。そして、同じ輪島塗を作るある工場で、今年3月末の地震の揺れによって乾燥中の輪島塗の色が変形した。ただしその変わった輪島塗の色彩の豊かさがこれまでになかった色で、とてもきれいなものだった。本来未完成のものだが、今までの色彩とは全然違うその色彩の美しさ、人間の手ではできない大自然の贈り物のその色彩はかえって人々から好まれ、これをきっかけに新製品の開発を手がけ始めたそうだ。
当日の夜に見た輪島大祭(キリコ祭り)が圧巻だ。「キリコ」とは、直方体の形をした山車(だし)の一種で、これに担ぎ棒がつけられている。大きさは、高さ12メートル以上、重さ2トン、100人以上の担ぎ手を要する巨大なものから、子供が担ぐ可愛いものまで大小さまざまなものがある。私たち一向は現地の方々の案内で見学に行った。見る人、キリコを担ぐ人などが町にあふれ、町全体が興奮の坩堝(るつぼ)となっているようだ。町に担ぎ出された「キリコ」がどれぐらいあるのか、数えようもなかった。「キリコ」は太鼓が付き物だ。太鼓をたたく人は男性もいるし、女性も子供もいる。見た目では10歳前後の何人の子供たちは大人に習って太鼓をたたいている。その様子がとても可愛く、また頼もしいものがある。一人の女の子はとても上手で元気よく太鼓をたたいていることから、周りから惜しみない拍手を浴びていた。この日のためによその地で働いている輪島生まれの若者の多くは故郷に戻ってキリコ祭りを楽しむそうだ。そう言えばこの日の夜、沢山の若者がキリコを担いで自由奔放にはしゃいでいる姿を見かけた。その若い体から噴出するエネルギッシュはとてつもないものがあり、うらやましい。これらの若者がこの町の希望となることを祈りたい。祭りは深夜まで続いた。若い人々につられて私もすっかり疲れを忘れ、深夜まで祭りを楽しんだ。そして、祭りの様子を沢山カメラに収めた。ここ能登半島は3月末に地震に見舞われ、輪島市は一番大きな損失をこうむったそうだ。現在、市民一人一人の努力により、輪島市は少しずつ復旧し、きれいな町になったが、更なる努力を払って美しい輪島になるよう願っている。
翌日、私たちは輪島市を後に東京に戻った。短い滞在だったが、キリコ祭りの賑やかさ、若者の力強い叫び声、朝市の物売りおばあさん達の優しい目は私の脳裏に深く刻まれ、忘れられない。
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