世界的な交響楽団の指揮者を務め、2002年、ウイーンで開かれた新年コンサートで、「新年好」、つまり、中国語で「あけまして、おめでとうございます」と挨拶したことで中国の人々にその名を知られた小沢征爾さんは、中国に公演に来るたびに、必ず立ち寄るところがあります。
実は小沢さんは中国・瀋陽で生まれ、1936年から41年の6年間、北京で過ごしました。そして、小沢さんが少年時代を過ごした旧居が、北京・東単の新開路にあります。
昔ながらの街並み、古い平屋造りの家屋・四合院(中央の庭を囲んで四方にそれぞれ平屋を配置する様式)が軒を連ねる。その一角、69号が小沢さんの旧居です。
伝統的な四合院で、木造の朱塗りの門があり、その両側に石造りの獅子の像が座っています。中に入って、庭の人たちに小沢さんのことを尋ねました。
「すみません。ここは、小沢さんの旧居でしょうか…」
「はい、ここは、彼が少年時代を過ごした家です。北側は寝室、東は食堂…」
迎えてくれたのは、程貞シュウさんと李美同さん。戦後、ここに引越してきました。
1978年、小沢征爾さんは、お母さんや弟さんと一緒に、このお宅を探し当て、やってきました。程さんと李さんとは、それ以来の付き合いです。
お二人は、小沢さんのお母さんから聞いた話をいろいろ教えてくれました。
小沢さんとその弟さんは、小さい頃、身長を計るため、よく庭の柱に印をつけていました。また、冬になると、庭に水を撒いて凍らせ、スケートをして遊んでいたそうです。
こんな子供時代を過ごした小沢さんは、自分にとって大切なふるさとであるこの庭に育ち、中国に公演に来るたび、必ずやってきています。実は、そこは、単なる子供時代を過ごした家というだけではなく、お母さんの遺骨が納められているところでもあるのです。
庭の中に、小さな四角い花壇があり、その中に桜の木が植わっています。
2002年、小沢さんのお母さんが亡くなり、彼女の遺言で遺骨が分骨され、庭の花壇に納められました。その後、李さんと程さんたちは、彼のお母さんに尊敬の気持ちを表すため、北京のあちこちを歩き回って、桜の木を手に入れ、花壇に植えました。
「小沢さんとの付き合いを通じて、日本人が友好的で平和を愛していることを深く感じました。一市民として、中国と日本、仲良くなることを祈っています。」(程貞シュウ)
「私が最初に日本と付き合ったのは小沢さんとその一家です。小沢さんたちを通じて、中国と日本、いつまでも仲良くやっていけると強く感じました。」(李美同)
中日両国人民の交流は、きっとこれだけではありません。「小沢さんと新開路69号」のような温かい交流が多くなれば、両国関係もよりよくなるに違いありません。
(音声ファイルは新年番組「新春チャイナ」の一部)
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