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南京市民の語る中日関係の過去と未来
   2005-08-13 19:02:24    cri

 プラタナスの街路樹が緑のトンネルをなしている南京。風光明媚な江南のこの町を、歴史上数多くの王朝が都としていました。

 日本の中国侵略戦争の際、当時の中国の首都であった南京では惨烈を極める歴史的出来事・南京大虐殺が起きました。あの悲惨なシーンから67年余りの月日が過ぎ、この出来事を経験した生存者もわずか400人ほどにまで減っています。今の南京市民はかの出来事をどのように見つめ、また、これからの中日関係をどう考えているのか?先週、北京放送の記者が南京を取材してきました。

  (一)戦争の痛み

 南京の中心部・鼓楼広場の周辺を散策すると、国民党政府時代の面影を偲ばせるレンガ造りの建物が目に入ってきます。と同時に、小高い丘の中腹部のアーチ型のメモリアルも見られ、これは、当時ここで虐殺が繰り広げられていたことを物語っています。日本の広島や長崎の町と同じように、ここも、今日に至っても、かの戦争の痛みが記憶されているのです。

 盧溝橋の銃声から半年も経たない1937年の12月、南京が陥落しました。近代史の研究者で、南京医科大学の孟国祥教授は、「日本軍は当時、速攻戦略を立て、首都・南京を攻め落とすことで、中国政府を服従させようとし、そのため、南京で非常に残虐な行動を取ったのだ」と指摘しています。

 「1937年の12月13日、日本軍は南京を占領した後、一ヶ月余りにわたり、はばかることなく、一般市民や武器を手放した中国軍捕虜に対し大規模な虐殺を行いました。抗日戦争期間中、南京大虐殺は日本侵略軍による最も残虐で、最も規模が大きく、最も典型的な戦争犯罪です。この虐殺のほか、日本軍は南京でなんと2万回にわたって婦女に暴行を加え、3分の1の家屋を破壊し、また、48万冊の書籍を計画的に略奪したのです。」

 (二)生存者の心の傷

 駱中祥さん、85歳。虐殺のあった年、彼は17歳。国民政府第64軍の兵士でした。駱さんの所属していた部隊は広州から上海へと移動し、一ヶ月余り日本軍と戦いましたが、無念にも破れ、南京まで敗退してきたのです。しかし、南京は既に陥落していて。彼は九死に一生を得、生き延びることができましたが、彼の兄を含め、同じ村出身の他の3人の兵士はいずれも、命を落としたのです。

 「当時の南京は、血が川のようになり、どこに行ってもしかばねが転がっていました。日本軍は朝から晩まで虐殺を繰り返していたのです。昼間の虐殺で死を逃れた私と仲間数人は、夜中、揚子江のほとりにたどり着き、船で向こう岸に逃げようと思ったのですが、その時、十数回にわたって船頭さんを探し回りましたが、みな死んでいたのです。」

 「日本軍は通訳を通して私たちにこう言いました。『皇軍に抵抗しても無駄だ。全員死ぬのだ。どのような死に方を望んでいるか?焼夷弾で爆死したいのか?それとも機関銃で掃討されたり、鉄砲で銃殺されたいのか?または銃剣で刺されて死にたいのか?』と。人群れの中には、私たち中国軍捕虜だけでなく、一般市民もたくさんおり、日本軍の凶暴さに泣き出した人や、川辺に走って入水自殺した人など、たくさんいました。」

 「前へ逃げようともすれば、前からは銃剣を構えた日本軍が刺してくる。後ろへ逃げようともすれば、同じく銃剣を構えた日本軍が追っかけてくる。こうして逃げ遅れた人はみな刺されて死んでしまいました。本当に惨かったです。」

 夏淑琴さん、74歳。南京の下町で生まれ、元は13人もいた大家族は、虐殺によって、当時7歳の夏さんと4歳の妹しか生き残っていません。孤児となった夏さんと妹はその後、それぞれ二つの家庭に引き取られ、異なる町で苦難に満ちた人生を送ってきました。彼女の体には、いまでも当時日本軍に刺された傷跡が三ヶ所残っています。そのためか、戦争が終わって長い月日がたっても、日本人という言葉が出ると、夏さんはかの家に押し寄せてきた日本軍を思い出して慄いたものだと言います。

 「思い出すのが辛くて…。あの時20~30人の日本兵が私の家に侵入し、9人の家族を殺しました。それに母や姉たちは暴行されたのです…。私は血だらけになり、どうして生き延びたか自分でも分からず、気がついたあとの悲惨な光景を見て死んだほうがましだと思いました。あの悲惨なシーンは脳裏から消えず、目が悪くなるほど泣きました。本当につらく、苦しいことです。」  

 (三)虐殺記念館を訪れる

 当時集中虐殺の行われた場所の一つ、揚子江沿岸にある江東門付近には、1985年に、犠牲者記念館が建てられました。

 記念館で、ボランティア活動をしている二人の生存者・しゃ子清さんと趙斌さんから話を聞くことができました。しゃ子清さんは母親が殺害され、6歳だった自分も避難先のアメリカ大使館の門前で、日本兵に殺されそうになり、いまでも頭部に傷跡が残っています。趙斌さんは、当時は生後5日目で、中山陵の警備に当たっていた父親が26名の戦友と共に日本軍に殺害されたのです。

 しゃ子清さん:

 「大多数の日本人は平和を愛していると思います。大学生から、『日本人を恨んでいるか?』と聞かれたことがあります。それは恨んでいます。しかし、どのような日本人を恨んでいるのか?それは軍国主義者であり、歴史を歪曲しようとしている右翼勢力です。平和を愛するすべての日本人が、南京に来ることを私は歓迎します。」

 「中国と日本は、2000年にわたる交流があり、隣国でもあります。私たちは友好的に付き合わなければなりません。それだけでなく、中日双方は手を携え、アジアのその他の貧しい国を助けるため、共に頑張らなくてはならないと思います。」

 「小泉首相の靖国神社参拝は私たちの心を深く傷つけています。歴史を正しく認識する点で、日本政府は実際の行動にでるべきで、過去の歴史をきちんと清算するべきです。

 平和を愛するすべての日本人が、正しくしっかりとした立場を持ち、歴史を歪曲しようとする少数の右翼と断固として戦ってほしい。なるべく多くの若い人たちに中国に来てもらい、中国の人々の願いを聞いてほしい。私たちは友好を望んでいて、戦争には反対し、平和を求めています。人々に幸せな暮らしを送ってほしい。これが私が日本国民に一番言いたいことです。」

生存者 しゃ子清さん(72歳)

生存者 駱中祥さん(85歳)

生存者 夏淑琴さん(74歳)

生存者 趙斌さん(68歳)

 趙斌さん:

 「ある日、万人坑の前で、蝋燭をささげ、悲しく泣いていた若い女性がいました。『お嬢さん、悲しまないで、もう過去のことなのだから』と慰めると、帰ってきたのが日本語だったので、彼女が日本人だと初めて知り、相手の言葉は分からなかったものの、私も一緒に泣いてしまいました。歴史の記憶は薄らいでも抹消することは出来ないのです。これが友好の前提なのです。

 今年、中日韓三国の学者の共同編纂による歴史読本・『未来を開く歴史』が出版されましたが、日本の若い世代がこの本を読むようねがっています。」

 ところで、20年前に記念館がオープンし、これまでに1000万人以上の見学者を迎えましたが、この中には、45万人の日本人が含まれています。館内には、日本の人々が送った千羽鶴や、過ちを二度と繰り返させまいとの思いで植えられた木々や花が目立っています。これについて、朱成山館長の話です。

 「中日友好の原動力は両国の人民です。日本の一般市民は私たちと友好的に接しているため、私は大虐殺遭難者記念館の館長をしながら、いまは、『私の日本の友人たち』と題した本を書こうと思い、これまで付き合ってきた100人の日本の友人のことを紹介しようと思っています。彼らは中日友好のために、中国人にもできないことをし、私を深く感動させました。私は館長になって10数年になりますが、これら友人からの多くの精神的支えを深く感じているのです。

 中日友好の土台は両国の人民であり、その希望も活路も人民にあり、人民こそ歴史を推し進める真の原動力なのです。いかなる政治家がこれを破壊しようとしても、最終的には失敗するのです。私はこの点を確信しています。」

 今年の春、日本の歴史教科書の改悪などをめぐり、中国の一部都市ではこれに対する抗議デモが起きました。しかし、南京ではデモがありませんでした。朱館長はこれについて、次のように語っています。

 「何よりも交流することの大事さを痛感しました。南京に来て待ち構えていた多くの日本人記者をがっかりさせたのですが、南京ではデモは起こらなかったのです。その一つの背景は、南京に記念館があり、数多くの日本人がここを訪れ、南京のメディアがこれらの様子をありのままに報道してきました。このような交流があったからこそ、南京市民は日本には右翼のほかに、歴史を尊重し、平和を愛する人が大勢いることを知っていたのです。」

 (四)市民の語る中国と日本

 この戦争から60年の月日が過ぎました。今の南京は沿海部江蘇省の省都であり、総人口約700万人の大都市です。今年の9月、全国スポーツ大会が南京で開催されますが、これに備え、南京では今、市を挙げて、道路の補修と拡張、地下鉄の敷設や町並みの美化などに取り組んでいます。

 このような活気に溢れた南京で暮らす異なる年齢層の市民に話を聞いてみました。

 19歳の大学生、駱雲龍さん。彼は大虐殺の生き証人駱中祥さんの孫です。印象深かったのは、傍にいたおじいちゃんが孫の言葉を聞き、幾度も頷いていたことです。

 駱雲龍さん:「中日両国は友好でなければならない。そのため、考えかたを絶えず前進させる必要があります。痛ましい歴史の事実は変えることはできず、私たちは、過去の中国が受けた侵略への憎しみを、国を建設していくエネルギーに換え頑張るべきです。また、一部の日本の指導者が靖国神社を参拝したり問題発言をしたからといって、国民全体が悪いと評するのは妥当でないと思います。というのは、今の日本人があのようなことをしたわけではなく、前代の人が罪を犯したから、その後世にも問題があると思うのは間違っています。」 

 南京の繁華街・山西路のブティックで働く32歳の陳さんは、代々南京で暮らしてきた南京っ子です。

 陳さん:「日本人に良い人と悪い人がそれぞれ半々いると思います。私は友好的な感情を抱いている人を歓迎しますが、歴史を改ざんしようとする人に対して、断固抗議したいです。」

 40代の南京市民、栄養士の徐瑞鴻さんの話です。

 徐瑞鴻さん:「過去の歴史は、骨身にしみていることで、忘れることはできません。しかし、それは一部の軍国主義者のやったことで、一般庶民に責任を負わせてはいけません。過去のことはあまり述べたくないのですが、歴史の事実は絶対に抹消することができません。日本政府が歴史を正視し、しかるべき行動さえとれば、両国の友好関係は保たれると思います。今後の中日友好の行方は日本政府にかかっているのです。」

 

通信
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