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石渓駅 |
手動ブレーキ |
遠藤啓一さん
石渓を出てしばらくは民家も多い景色が続き、2駅目の躍進駅までは電化もされておりここまでは道路も通っている。やがてこの季節でも青々としている段々畑の風景が現れる。
畑は野菜が主で、すでに菜の花がほころび始めているところもあった。2月から3月にかけて一面真っ黄色になるようだ。あちこちに見られる竹林も四川省らしい風景である。
その先の密峰岩駅はスイッチバックになっており、ここから走る方向が反対になり36.14%の最急勾配地点へと向かう。
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家族の絆 |
生活の匂い |
10時45分定刻終点黄村井駅着。もとは炭鉱あるこちら側を起点駅と呼んでいたが、最近は観光客に分かり易くするためか石渓駅にも起点駅の表示が現れた。ひとつ手前の芭溝は比較的大きな町であるが、黄村井は石炭を積む施設がある他は民家も少なく寂しい街である。黄村井駅の裏手高台には炭鉱があり、今でも手押しのトロッコで石炭を駅まで運ぶ姿が見られる。今年の春節(2月7日)に炭鉱博物館がオープンするという看板が駅の構内に立っていた。この町も観光事業に本腰を入れようとしているようだ。
駅の奥の炭鉱への側線に緑色の客車が1輌止まっているが、これこそ知る人ぞ知る0号車、霊柩車である。車体の側面に外から柩を入れられるようにトランクが付いている。炭鉱の事故で犠牲になった外部から来た人を運ぶのだろうか。
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鉄の窓と車掌さん |
躍進駅を出発 |
黄村井駅から線路沿いの黒い瓦屋根の炭住街を芭溝まで歩く。芭溝の炭鉱は1939年英国との合資会社により掘られた。町の中には炭鉱労働者の為の銭湯、劇場、住宅などがあるが、古色蒼然とした建築物が多い。いずれも1950年代に建てられ当時の中国を支援していた旧ソ連の影響が見られる。建物には文革時代のスローガンも多く残っていて、何十年前にタイムスリップをしたような気分にさせられる。
帰りの列車を待っていたとき、ホームにある売店で暫らく時間を潰し、そのあと切符売り場のある駅員の詰め所で暖をとらせてもらった。詰め所は、入口付近に机が一つ、奥に宿直用のベッドがあるだけで倉庫のようにガランとした建物であった。机の上には駅間の連絡を取るための鉄道電話が3台その前で駅員3人がストーブを囲んで昼寝をしていた。この鉄道は車掌も地上勤務の人たちも本当に良く眠る。寝姿が景色にとけ込んで全く違和感がないのが不思議である。
今回は駆け足の芭石鉄路初体験であった。それにしてもこんなに生活の匂いのする鉄道は他にあるだろうか。物質的には決して豊かとはいえない土地だが、大人の表情は明るく、子供の瞳が澄んでいるのが印象的である。今すぐにでも再訪したい衝動に駆られている。
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