江西省盧山で産する。「盧山の秀、天下に甲たり」と称せられた盧山は、北は長江、南は鄱陽湖に臨み、気候は温暖で、山紫水明の地であり、茶の生育に適した条件を備えている。盧山雲霧茶の芽は肥え、毛が目立って美しく、香り高く甘みがあり、その透明な緑色はまことに茶の逸品というに相応しい。
盧山(luoshan)といえば、美しい山として知られていました。
盧山は長江中流の南岸、江西省九江市の南にあり、中国一の淡水湖、は陽湖の湖畔に聳え立ち、『盧山の奇秀、天下に甲なり』の誉れを持っています。盧山は多くの峰峰からなっており、最も高いのは漢陽峰で、標高1474メートル、天を突き破らんばかりに聳えています。盧山は数百万年前の第四紀の氷河活動によって今の姿が生れ、山中には滝あり、湖あり、断崖絶壁があって、またとない自然の姿を作り上げています。
盧山の美しい姿は山の姿にあるだけでなく、雲霧にあります。盧山の地形は封鎖的にな
っていて、長江やは陽湖の蒸発した水分がすぐに拡散できず、それが雲となり霧となってしまい、一年の内190日間は霧に包まれているといわれます。雲霧の漂う盧山、幻想の世界にいるようで、多くの人の好奇心をかき立たせたのです。秦の始皇帝がが南巡したときも盧山に登っていますし、後漢の明帝のころにはここは中国仏教の中心の一つとなり、西林、東林、大林の三大名刹と海会、秀峰、棲賢、帰宗の五大寺院が建立されました。
歴代の多くの詩人墨客、陶淵明、李白、白居易、杜甫なども、ここに足跡を留めています。三大名刹の中でも日本と深いつながりをもつのが東林寺で、ここは中国の仏教浄土宗の発祥の地です。唐代の高僧鑑真和尚が日本に渡る前に、わざわざここを訪れ、当時の東林寺の名僧智恩和尚を誘って日本に渡りました。こうして東林浄土宗の教義と浄土宗の始祖である慧遠の名が日本に伝えられ、日本の東林教は今も盧山東林寺の慧遠「えおん」をその始祖としています。名刹のあるところに銘茶ありという言葉がありますが、中国の十大銘茶の一つに盧山の雲霧茶の名が見られます。
伝説によると、昔、昔も大昔、南国で茶の種が熟したころに、一群の渡り鳥が茶の種を咥え、雲を突き抜け、青空を飛び、花果山に持ち帰り、そこに埋めて育てるつもりだった。
丁度盧山の上空に飛んできたとき、盧山の美しい姿に引き付けられ、思わず歌いだしてしまった。咥えた茶の種は岩の割れ目に落ち込み、そこに根をおろすようになり、まもなくすると雲霧に包まれた盧山に、美しい緑の茶をつけた茶ノ木が生い茂ったということです。実際には最初の雲霧茶は野生のもので、後に寺院の僧達によって人工栽培の雲霧茶となったのです。資料には、「わが国の関連ある文字の記載によれば、盧山の雲霧茶は唐代にはすでに世に知られ、一千年以上の歴史がある」とかいています。
もう一説は明代の名医で知られる李時珍の医学書『本草綱目』卷32、名の項の集解に「盧山の雲霧」とあるのが文字に見る初めてのものとあります。その時に命名したとすれば、少なくとも400年ということになりましょう。
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