北川は消えず
震災後、五日目の四川省・北川。
地震の爪あとは町のいたるところに見られます。住宅は棟を並べて崩壊し、形が完全に失われてしまいました。目の当たりにしたものはがれきだらけで、アスファルトの道にはひび割れが入っています。
言い伝えによりますと、北川は治水の功績で名の知られた、紀元前の夏の時代の最初の王とされる「大禹」の生まれ故郷だそうです。美しい自然に恵まれた北川は「大禹の故郷、健康の北川」と呼ばれていますが、いま、そのキャッチコピーの載せた看板は70度ほど傾いています。町にある北京オリンピックのカウントダウン時計も、88日で止まったままです。
5月12日の大地震はこの町の穏やかな生活を徹底的に壊してしまいました。
午後2時28分、北川高校では、午後の授業が始まったばっかりでした。地震発生の前日、高三の生徒たちは受験のストレスを解消するため、運動会を行いました。運動会の写真はある先生のブログに載せられました。しかし、わずか一日の後、写真に記録された生徒たちの笑顔は消え、先生のブログも永遠に更新されることがなくなりました。
北川幼稚園にはおよそ500人の子供がいました。地震による土砂崩れで、20人しか生き残りませんでした。
高い山々に囲まれた北川は龍門山断層帯にあります。この断層帯は長さ500キロメートルで、幅70キロメートルあります。今回の地震によって、2万2千人の人口を持つこの町では、生き埋め6千人、死亡3千人、負傷3千人となりました。
多くの人々から見れば、北川は完全に崩壊されたことになりました。しかし、震災後の畑では、生き残った村民たちが黙々と畑で野菜を探し回っています。「救援隊の人々にご飯を作りたい。彼らのおかげでわれらが救われた。体力がないと救援も進まないでしょう」と。外へ避難する負傷者も「また戻るよ。北川は故郷だから」と、素朴なことばを残してくれました。(取材:新華社記者 朱玉 整理翻訳者:Lin)
地震前日の北川高校
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地震後の北川高校
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