綿陽市は震源地のブン川から約100キロ。地震は綿陽市にも重大な被害を与えました。人民網によりますと、地震直後に、綿陽市の電気、水道、水道が寸断され、学校や会社、工場などはいずれも停止したままだということです。
市街地区では、地震で94人が死亡しました。このほか、綿陽市所属の各区や県はすべて被害を受け、中でも、北川、安県の被災状況が最も深刻で、15日昼現在、綿陽市全体の死者は7395人に達しています。また山崩れもあり、インフラ施設がひどく破壊されました。なお、北川など各地の被災者は綿陽市の九州体育館と南河体育館に避難しています。
5月15日正午12時。綿陽市の市街地に住む市民・葉天富さん(会社員、34歳)に、電話で取材しました。葉さんは3歳の娘と両親と4人で綿陽市内で暮らしています。地震の時、葉さんは2階建ての社屋にいました。「床も天井も突然揺れだし、左右の揺れが長く続いた。内装工事をしている隣の部屋からセメントや石が落ちてきて、皆急いで机の下にもぐった。幸い、建物にひびが入ったものの、倒壊はしなかった」、と当時の様子を振り返りました。
記者 綿陽市の天気はどうですか。
葉 今日は曇りです。昨日は晴れて、暑かったです。
記者 余震はまだ続いているようですね。
葉 そうです。今もしょっちゅう余震が起きています。最初は怖かったですが、あまりにも頻繁に揺れているので、今は体が麻痺して、何とも感じなくなりました。
記者 今、葉さんの周りはどのような様子ですか。
葉 今は家に戻って、テレビを見られるようになりました。電気も水道も通じました。ガスはパイプの復旧作業が終わっていないようで、まだ使えません。
綿陽市では、私の周りは皆、落ち着いています。互いに助け合い、また、北川などからの避難民を収容している体育館へボランティアに出かけている人も多いです。
記者 ここ2、3日は夜、どのように過ごしていますか。
葉 地震が起きた日から、毎晩、野外で寝泊りしています。団地の人は皆で、家から車で約15分の山頂に行き、車内で寝泊りしています。山頂は開けていて、建物も少ないので、比較的安全だと思います。昼間は、食事の支度で家に戻ります。余震が心配なので、しばらく、外で寝ようと思っています。団地の人は皆で一緒にいるので、何かと安心です。
記者 市場の供給はどうなっていますか。
葉 品数は少なくなりましたが、食糧や食べ物は市場で買えます。
記者 会社はいかがですか。
葉 会社からは頻繁に連絡が入りますが、まだ、いつ職場が再開するかは、見通しが立ちません。同僚の多くは、ボランティアとしてがんばっています。私も昨日、体育館に皆と一緒に物資を仕入れに行きましたが、残念ながら、道路が渋滞していて、中まで入れませんでした。
記者 綿陽の市民は救援活動を積極的にがんばっているようですね。
葉 そうです。テレビで地震孤児がたくさん出てきたことを知って、心を痛めています。私の周りの多くの友達も母親ですので、やはり「地震孤児」が一番気になります。可能ならば、親を亡くした子を養子に引き取りたいと考えている人も数多くいるようですよ。(王小燕)
|