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林涛のゴーゴー話:オロチョン族
   2005-06-28 13:36:02    cri

 今回はオロチョン族を私なりにご紹介いたしましょう。

 オロチョン族は中国北部の内蒙古自治区と東北部の黒竜江省が接するところにある小興安嶺、特に内蒙古自治区フルンベル盟に多く集り住んでいます。10年前の統計によると人口は26000人あまりですって。  

 その話す言葉ですが、アルタイ語系、満州・ツングース語派、ツングース語に属するとありますが、ややこしくてこの林涛には、何がなんだか分かりません。 また文字はないとのことです。

 オロチョン族の人びとはシャーマニズムを信奉し、自然界の事物を崇拝し、万物には魂があると信じています。祖先崇拝が盛んに行われているらしい。で、「オロチョン」とは「連なる峰々の上に住む人たち」あるいは「トナカイを飼育している人たち」という意味だそうで。 この呼称は清朝始めの史書に記録が残っているとあります。また、オロチョン族の人びとは長期にわたって狩猟の生活を主とし、採集と漁労を補助的なものとしてきたらしんですね。ほとんどすべてのオロチョン族の男性は優れた騎手と百発百中の射手であり、いろいろな獣の習性と生態の法則をよく知り、豊かな狩猟の経験があるとのこと。そして20世紀の40年代頃までは、まだ原始的な共同生活を保つ狩猟民族であったんですね。

 で、新中国成立後、オロチョン族の人たちは一挙に社会主義という社会に入るわけですが、いまは、定住生活を送り、狩猟に別れを告げ、森林と野生動物を保護していると本にありました。

 また中国の別の史書には、20世紀の初め,コニ川上流のビラ河流域に60世帯・約260人ものオロチョン族が住み、生き抜くためにと新しい狩猟区開拓で移動したんですって。つまり、大興安嶺山脈の東の麓に移り、元の原始林地区で暮らし始めたのです。1939年,かのいわゆる"?洲国"政府が、黒龍江の納河や竜江県に住んでいた少数民族ダフール族と共にオロチョン族に他の地方への移住を強制しました。その時からオロチョン族は南木という鉄道の駅近くに住み着き、といっても森の奥に住み着き、ダフール族の人々との付き合いを始めたんですね。そして1948年に共産党や人民政府の世話の下に、山をおりて定住生活を始め、アムニュ川の辺で自治的生活を送ったのです。そして1950年にまたダフール族の人々と共に、交通が便利な濱州鉄道の沿線地区に移り、このときからここに住み着いたということです。ここにはオロチョン族郷人民政府ができ、人々は元の単一の狩猟生活から、農業生産や牧畜業を始めました。

 で、オロチョン族の衣装ですが、元は狩猟を主としていたことから動物の皮で出来たものが多いですね。特に鹿、ベラジカ、ノロで出来た上着、ズボン、靴と帽子などは実用的な上に外観もいいものです。それに暖かいでのですよ。また女性はとても器用で、白樺の木の皮を利用して美しい手芸品??衣服、靴、かご、桶、箱を作り、男性は白樺の皮を張った小さくて精巧な船をつくります。これらのものにはいずれも美しい図案が施され、かなり丈夫で、そしてまた精致な上に上品です。もちろん、今では定住生活を送っており、狩猟は余りやりませんので普段みなさんは、漢民族のみなりをしています。でもお正月や祝祭日になるとみんなが昔の衣装をまとって楽しむのです。

 さて、オロチョン族の住まいですが、彼らは天幕の住宅に以前は住んでいたんですね。この「ツォロツ」と呼ばれる伝統的な天幕住宅は、20~30本の松や白樺の柱で作られた円錐(えんすい)形の小屋です。小屋の傘、イや、傘ではなく覆いでしょうが、これは季節によって変わるそうです。夏は縫われた白樺の樹皮で覆い、冬は厳しい寒さを凌ぐために動物の毛皮で覆われているんですね。で、高さは約5メートルで、直径はおよそ6メートルとなっていて、玄関じゃなくて入り口は、一応は南か東を向いていらしいんですね。そして内部は、真中に明り取りと、暖をとったり食べ物を作るための炉が置いてあり、食事の時は炉の上に小さな鍋をのせます。また寝床ですが、二種類あり、一つは床に木を並べてベッドの形をを作り、その上に乾いた軟らかい草と白樺の樹皮を敷き、また暖かい鹿の皮を敷くんですね。またはもう一つは、床の上にベッドが出来ているんですね。もちろん、今は定住生活を送り、レンガ造りや木造のしっかりした家に住んでいますから、以前住んだ小屋は、秋や冬に狩猟に出たときだけ利用したものなのでしょうか?またオロチョン族は鹿の飼育と訓練がうまく、鹿の引く橇(そり)は昔の重要な交通手段となっていました。つまり、どこへ行くにも、特に雪の中ではこのそりを使って狩をしたり、親戚や友人の家を訪れたり、どこへでも行ったということです。

 ところで、オロチョン族の伝統芸術ですが、まず、山歌があります。これは「ヅァンレンダ」といい、南木地区のオロチョン族でしたらほとんどが歌えるそうで、山の中、森の中、田畑や他の仕事場では、伸ばして歌うような一味違う歌声を耳にすることができます。もしお客さんが来て酒盛りしているときは、夜通し歌っているそうです。次にオロチョン語で"踊り"という意味の「リルゴレン」があります。この「リルゴレン」には、娯楽専門のもの、儀式のときに踊るものと宗教的なものがありますが、いずれもゆっくり踊り始め、徐々に早くなり、最後には激しく動き終わるというものです。そして、一般には楽器による伴奏はいらず、自分で歌いながら踊るというものです。またオロチョン族の踊りには動物の動作を真似たものが多く、あるときは、それが鹿であったり、あるときは鳥であったりし、背伸びしたり、腰を曲げたり、飛んだりはねたりするほか、肘、肩、腕と指を巧みに動かします。また、働いている場面を現した踊りやみんなで果物狩をして楽しんでいるところを現す踊りもあります。

 そして、オロチョン族の彫刻と刺繍も注目を引いています。特に白樺を材料にしたものはほとんどが女性の手によるものだということです。そして彫刻の花模様はごく少数を除いて何の象徴的意義はなく、主には観賞用だということです。この他、嫁入り道具にある刺繍の花模様はとてもきれいで、主には赤、黄色と黒の三つの色からなっていて、喜び、縁起と愛情を表しているそうです。ねえ!この言葉を林涛がいうとおかしく聞こえるからもうやめときましょう。

 では次に、オロチョン族の食生活を見てみましょう。昔の本「龍沙紀略」には、「東北の各部落には、釜、こしき、瓶に属するものなく、物を熟するには木をえぐり掘って水を貯め、焼けた小石を水中に十数回つけ、煮て食する」とあります。これをオロチョン族の人々は「淬瀹(さいやく)肉」と呼んでいるそうです。また吊り焼きというのがあって、これは動物の胃袋で肉を煮ること。つまり、獲ってきた獣の胃をきれいに洗い、中に水と肉を入れ、それを火で炙り、胃袋が焦げ始めたら、中の水も沸騰し、肉は八部目熟したことになります。この調理法は遊猟生活に適していました。

 で、オロチョン族の伝統的な食べ物と言えば、野獣の肉と魚。もちろん、主食は米と小麦粉です。この主食は、米はもちろんご飯にしますが、小麦粉はそのまま油で炒ったり、水でこねて平らに引き伸ばし小さく切って煮たり、焼きパンみたいにしたりします。また果物を加えたお粥を作ったり、この他、粟やもち米も食べますね。

 さて、オロチョン族の年配には"アオブ"という習慣があります。つまり、狩猟の獲物は1人1人に平均に分け与えるというのです。いまの定住生活を送る前、狩猟での獲物、特にそれが、鹿、ヘラジカやイノシシなど大物の獲物ですと、それはこの部落だけでなく、よそから来た人にも、老若男女を問わず、みんなに分け与えるというものです。そして一番新鮮で栄養のある部分は、最も尊敬されているお年寄りに与えられます。この習慣はいまでも一部のこり、病気や身寄りのない人は特別扱いされているそうです。これはいいですね。  

 またオロチョン族は客好きです。特に遠いところからお客さんが来ると、家にある美味しい料理やうまい酒でもてなし、またミルク茶も出すそうです。そして若者が年配の人にあうと、決まってお辞儀して挨拶の言葉を述べるんです。更に、オロチョン族は互いに助け会う精神に長けてるんですって。つまり、狩人が獲物を持ち帰ると、知り合いであろうと知らない人であろうと、獲物を分けてくれといえば、いくらでも無料で分けてもらえるんですよ。また、狩に出て一人に収穫があり、もう1人は手ぶらでしたら、1人の獲物を2人で分けるらしいんですよ。ちょっと人がよすぎますよね。僕だったら・・・ま!次に行きましょう。

 さて、オロチョン族の婚姻ですが、求婚、親族として認め合うこと、結納送りと式を挙げるまで色々あるようですよ。男性は15~16、女性は14~15になると、いやに若いですが!!まあいいか。その家では縁談をすすめます。求婚は男性の家のことで、どこかの年頃の娘さんがうちの嫁に適当だと男性の両親が認めると、仲人に託してその娘の家に求婚にいきます。そして縁談がきまると、仲人と花婿の母親が花婿である息子を連れお酒やイノシシの肉などをもって花嫁の家へ行き、花嫁の両親以外の年配者に叩頭するのです。ありゃ?そうか、花婿は花嫁が実家に帰った時に叩頭するのかな?また結納品ですが、一般には馬が2.3匹、二桶の酒と2頭のイノシシです。次に結婚式ですが、式を挙げる2日前に花婿が花嫁を迎えに行き、その際、花嫁の家の人は遠くまでこれを迎えるのです。そして帰るときは、花婿が前の日に先に戻り、式を上げる当日に花嫁のおじさんが花嫁を花婿の家に送り届けるわけです。ちょっとややこしいですね。さて、結婚式では両家の人々がしかるべき席につき、新郎新婦が夫婦となるため天地を拝したり、花婿の両親及び目上の人たちを拝したりします。そして宴会が始まり、真中でかがり火を焚き、その周りに客人たちが座り、酒と料理が運ばれ、新郎新婦はすべての目上の人にお酒を勧め、進められた人は、祝いの言葉を述べながら贈り物を手渡します。こうしてみんなは飲んだり踊ったり夜遅くまで祝います。まだ色々あるようですが、林涛はこれぐらいにしておきましょう。そんなことより、こんなこんな面白い婚礼に参加して飲み明かしたいですね。どうもまた襤褸が出ました。ごめんなさい!

 今度は、オロチョン族の葬儀ですが、1910年以降まで、オロチョン族には主に風葬、つまり遺体を柳で編んだ棺おけに入れたり、またはそのままで木の上、山林や平地にさらし、一年後に土葬していました。人はあの世でも暮らすと人々は考えていたので、生活用具をも副葬品として埋めていました。もちろんm'後になって風葬の習慣はなくなったんですって。

 ではここでオロチョン族の昔話をご紹介しましよう。

 題して「熊は元は人間だった」です。

 熊は元は人間であり、よくものを掴み、石を投げたという。そこで天の神が熊と人間とを勝負させ、石運びさせたところ、石が大きいので人間には運べなかったのに、熊はそれを軽く持ち上げると遠くへ放り投げた。と、ある日、熊はどうしたことか。人間を棒で殴り殺してしまったので、天の神が怒り出し、熊の前足の親指を切り落とし、直立させずに這わせたので、このときから熊は獣となってしまったわい。

そこで熊は鳴きながらいう。「これからどうやって活きていくのですか?」。すると天の神が答えた。「これからは果物をたべろ」。

「では、人間がおいらを食べた後、骨を勝手に捨てないよう言って下さいな」。そこで神は人間に「熊は元は人間らしさがあったのじゃ。これからはその骨を勝手に捨ててはならんぞ!」というと、人間のひざの骨を前に持っていったので、人間は直立して歩けるようになったという。

 そのときから、人間は熊を粗末にしなくなり、熊が死ぬと人間と同じように涙を流して風葬し、「熊がいると憎らしき狼は来ない」といてトーテムとした祭ったという。へえ~?!

ゴーゴー話
v 林涛のゴーゴー話:中国西南部にすむハニ族 2005-06-23 10:09:31
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