北京
PM2.577
23/19
日本の人々も、まだ覚えているだろう。昨年3月に、33歳のスリランカ人女性が名古屋出入国管理局の施設で無残な死に方をした事件だ。日本だけでなく世界の世論を驚かせた、あの事件だ。それから1年が経過し、遅くなってしまった公正さと正義を取り戻すために、死亡した女性の家族は4日にも、国家賠償を求めて日本国政府を相手に名古屋地裁に提訴する見通しだ。
日本の入管施設に収容されていたスリランカ人女性のウィシュマさんは約1年前、体調を崩したために最低限の人道的治療を求めたが、冷酷に拒否され、自由を失ったまま不幸にも死亡した。ウィシュマさんの家族は未公開の監視映像の一部を確認して、収容中に「動物のような扱い」を受けていたと涙を流した。この事件は日本社会を震撼させた。依頼を受けた日本人弁護士は義憤に駆られて、「日本は人権がない国だ」と述べた。ある日本の国会議員は、この悲劇は日本政府が「人を人として扱っていない」結果だと厳しく批判した。
ウィシュマさんの死から約1年が経過した。ウィシュマさんの妹は、今回の提訴ついての説明で、姉の死因を知るために1年間に渡り懸命に奔走してきたが、日本政府はこの間、自らの責任を自覚せず、事実を公表しようとしないので、やむを得ず訴訟という手段で公正さと正義を取り戻さざるをえなかったと、力を落とした様子で説明した。
この、衝撃的で心を痛めざるをえない状況、悲痛さに切歯扼腕せざるをえない事例が、人権の優等生を自負する先進国で、しかも正義と法治を具現化すべき公務執行部門内で発生したとは、実に信じがたいことだ。実に悲劇的な事件だった。一人の人間が命を失うことになった状況を、軽々しく放置したり許してはならない。さらに深刻なのは、日本政府が事件発生後に負うべき責任を負おうとせず、懸命に逃れ、隠蔽(いんぺい)し、遺族に納得できる説明をせず、真実を明らかにしようしなかったことだ。日本政府には人権の尊重と保護の姿勢が全く見られず、遺族の心の傷に塩を塗り、悲しみをさらに付け加え、世間の人を無視し、正義にふたをかぶせてきた。
日本メディアの報道によると、日本の入国管理部門の施設では1993年から現在までの間に、ウィシュマさん以外にも23人が死亡している。
命はかけがえのないものだ。生命権は人権の中でも最重要なものであり、軽々しく踏みにじることは誰にも許されない。米国は世界最先端の医療機器と技術を持ちながら、新型コロナウイルス感染症による死者数が世界で最も多い国だ。日本には多くの国が手本とする整った法体系と厳格な法治の手順があるのに、「人を人として扱わない」結果としての悲劇がこれほどまでに多く発生している。なぜなのだろうか。
結局のところは、日本は他国を攻撃する時の口実に人権を利用するだけで、自国内の問題に直面した際には警戒と反省が足りないからこそ、このような「灯台下暗し」式の奇怪ででたらめなことが発生してしまうのだ。自分の家の門前を掃き清めないでおいて、世の中全体を掃き清めることができるだろうか。「人を人として扱わない国」に、人権はあるのだろうか。人権を口実にして他国を攻撃する時には、実際には自分自身の顔を叩いているのだ。(CRI日本語部論説員)