北京
PM2.577
23/19
中国について多少なりとも理解している日本人のほとんどが、旧暦の新年-春節が中国人の日常生活の中に占める意味や重さを知っている。毎年のこの時期、中国人は皆、家族が再会し、喜びに満ちて、その年の最も重要な伝統的祝日をさまざまな形で盛大に祝う。
だが、今年の春節(2月1日)は例年とは大いに異なり、中日関係に善意を抱いている人々をめでたさとは正反対の冷ややかな気分にさせている。何故なら、まさにこの日、日本の衆議院が中国に関する人権決議を採択し、新疆、チベット、内蒙古、香港などのいわゆる人権問題に対する懸念を表明したからだ。
この決議の内容については日本のメディアがいずれも詳しく報道しているので繰り返すまでもないが、関連する中国側の反応を見てみよう。中国外交部はこのニュースが発表されるといち早く、この決議は悪意をもって中国の人権状況を中傷し、国際法と国際関係の基本準則に厳重に違反し、中国の内政に乱暴に干渉する極めて悪質なもので、中国人民に対する深刻な政治的挑発だと表明した。その内のいくつかのキーワードは「悪意をもった中傷」、「乱暴な」、「極めて悪質」、「深刻な挑発」だ。最後に、「中国はさらなる措置を取る権利を留保する」とも言及している。
日本が最近頻繁に中国関連問題で大騒ぎしていることについて、中国のこれまでで最新の声明は「意図的に」「違反する」、「停止する」、「避ける」であったことを覚えているだろう。両者を比較すると、今回の文言の重さ、語気の厳しさ、態度の毅然さがはっきりと分かり、そのどれもが近年極めてまれに見るもので、極端に言えば、日本の一部の政治家が毎年隣国の感情を無視し、靖国神社に参拝することに固執していることに対する中国の発言をしのぐものだ。これは中国が憤っており、その結果がどうなるかさえ事前に示されているということだ。
中国はなぜこんなに憤るのか。それは別に難しいことではなく、おそらく日本の一部の政治勢力は先刻承知で、意図的にやっているのかもしれない。だが、中日関係に終始良い期待を抱いている多くの善良な人々は多少戸惑いを感じているかもしれないので、ここで一緒にこの状況を分析して見ても良いかもしれない。
一つ目はタイミングだ。1日は中国の春節というだけでなく、中国と世界が北京冬季オリンピックの開幕を迎えようとしており、この本来祝うべき二つの慶事が一度に訪れる日に、なんと人から悪意をもって中傷され、体にナイフを突き立てられることは、中国人は断固受け入れられない。中国の国家の尊厳と人民感情を極めて大きく傷つけるだけでなく、100年前の侵略され放題の悲惨で屈辱的な歴史の記憶を呼び覚まし、中国全土に強烈な反対と極めて大きな怒りを引き起こすことは必然だ。
二つ目はその内容で、新疆、チベット、内蒙古、香港などのいわゆる人権問題は既に繰り返し反証され、でたらめな内容、荒唐無稽な非難はいずれも既に国際社会の笑いものになっている。一つだけ例を挙げて説明するなら、新疆綿は強制労働によって摘まれたものだと言うが、実際には新疆では早くから全工程機械による自動化作業が行われており、このような一目瞭然のうそがなぜ他人を攻撃する材料として繰り返し使われるのか。これは日本の一部の政治家の無知と偏見、そして米国に従属し、何も分からずに従っていることを露呈していると言わざるを得ない。
三つ目は度合いといって良いだろう。一歩一歩追い詰める、災いを繰り返していっそう激化させる、これは現在の日本政府がいわゆる人権問題で中国に取っている政治的手法だ。その手法は必ずしも巧妙ではないかもしれないが、中国の限界を繰り返し試す、悪意ある不吉な動きだ。元凶は日本側であり、中国はこれに警戒を強め、一喝するが、堪忍袋の緒が切れれば行動に出るのは必然だ。
この三つの原因から、中国の強硬な姿勢を理解するのは難しいことではない。これほど繰り返し言いがかりをつけるのが重大な政治的挑発でなければ一体何なのか。
日本メディアの関連報道を見て、ある動きが我々の注意を引いた。日本の与党内では、「今年の日中国交正常化50周年という友好的な雰囲気にそぐわない」と、この決議の国会採択について反対の声を挙げているが、一部の野党がより熱心で、調子づいているようだ。日本の政界は歴史的にも複雑で、さまざまな勢力があちこちで次々と争っているが、日本の政治家たちがもっと冷静に考え、中日関係を米国に対する忠誠心のカードや日本政界の内部抗争の犠牲としないよう願う。(CRI日本語部論説員)