北京
PM2.577
23/19
今日17日は米国のマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)の記念日だ。1986年1月、当時のレーガン米国大統領は法令に署名し、毎年1月の第3月曜日をキング牧師記念日と定めてこの公民権運動指導者を記念すると共に、この日を連邦の法定休日とした。
特筆すべきは、米国ではこれまでに個人の記念日を法定休日にした事例は三人しかおらず、他の二人はいずれも米国大統領を務めたエイブラハム・リンカーンとジョージ・ワシントンであるため、この二人の記念日は大統領の日と呼ばれている。アメリカの大統領以外の人物でこの栄誉を受けたのは今日までキング牧師ただ一人であり、アフリカ系アメリカ人でこの栄誉を享受した唯一の人物である。これは米国が公民権運動を重視していること、そしてキング牧師の価値ある貢献を十分認めていることを意味してはいる。だが、このような表面的な重視や言葉上の中身のない肯定だけで良いのだろうか。
私には夢がある。それは、いつの日かこの国が立ち上がり『すべての人間は平等につくられていることは、当たり前の真実だ』という信条を実現することだ。
私には夢がある。それは、いつの日か、私の四人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。
キング牧師は20世紀の60年代、「私には夢がある」と題する有名な演説の中でこのように叫んだ。彼は人種差別に反対し、平等を勝ち取るために強力な声を発したが、不幸にもその後、人種差別主義者により暗殺され、この偉大な夢の実現のために尊い命を捧げることになったのだ。
半世紀が経ち、現今の米国を見ると、キング牧師記念日を設けた当初の願いは達成されたのだろうか。キング牧師が唱えた「全ての人間は平等に造られている」という理想は実現されたのか?肌の色を理由にした少数民族への差別や憎しみは薄れたのか?
2020年5月、アフリカ系米国人男性のジョージ・フロイドが繁華街の路上で白昼堂々、白人警官により頸部を膝で強く押さえつけられて死亡した。彼はその間何度も、「呼吸ができない、助けてくれ」と懇願したにもかかわらず、無視されて、最後は憎しみの果てに死亡した。彼の死は全米中でデモを引き起こし、彼が発した「呼吸ができない、助けてくれ」という絶望の叫びは米国の人種差別主義に対する人々の反省を引き起こした。「全ての人間は平等に造られている」という夢から「呼吸ができない」という現実まで、この間の巨大な落差がキング牧師の夢をはるか遠いものにしている。
フロイドの事件は孤立したものではなく、少数民族が受ける差別と不平等は既に現在の米国社会のあらゆる面に浸透している。新型コロナウイルス感染症の発生以来、「アジア人敵視」のムードが全米各地に蔓延し、アジア系に対するヘイトクライムも激増している。アジア系米国人は身の危険を感じ、自分と家族を守るために、一部の人間はペッパースプレーや警報器、スタンガンを持ち歩かざるを得なくなった。米国では、新型コロナウイルス肺炎による死亡率が最も高いのは少数民族系の人々であり、ワクチン接種率が最も低いのも少数民族系で、最も感染症の打撃を受けているのも少数民族系の人々だ。もしキング牧師の「平等」の夢が現代の米国人にとっても依然として「アメリカンドリーム」だとしたなら、さまざまな残酷な現実と一連の悲劇は美しい夢を非現実的な幻想に変えてしまうには十分だろう。
キング牧師が暗殺されてから既に半世紀余り、米国にキング牧師記念日が設けられてからでも既に30年以上が経過しているが、米国社会の人種差別という根強い病気はいまだに治癒していない。今日、米国の主要メディアの中国語サイトをチェックしてみても、この重要な日に言及する内容はほとんどなく、それどころか他国の人権問題を非難する多くの報道を目にする。自国の重大問題に対する選択的健忘症や、他国に対してデマの限りを尽くし、誹謗中傷に長けていることは、米国が真に人権を尊重し人種差別を撲滅するという目標にはまだまだ長い道のりが必要なことを示している。(CRI日本語部論説員)