北京
PM2.577
23/19
「師走」は一説によれば、人々が来る新年を迎えるのに忙しくなるという意味がある。師走に入った初日、日本政府は外務省人権問題担当官という新しいポストの設置を発表するなど、多忙を極めた。日本政府も新たなポスト設置の目的について、いつもの曖昧な姿勢を一変して「新疆や香港などをはじめ、各国で発生する人権問題への対応を検討するためだ」とはっきり示した。
日本政府のこの動きは意外なことではなく、いわば人権問題に正面から取り組むための「第二歩」といえる。これまでの自民党総裁争いでは、首相になれば専任の首相補佐官を新設することを高らかに公言していた岸田氏が就任すると、すぐに中谷元前防衛大臣を任命した。中谷氏はもともと対中強硬派で、日本の「人権侵害制裁法」の制定を訴え、国内法で国際問題を解決しようとしている。中谷氏の新ポスト就任は、「日本政府が中国に矢を放った」と一部で騒がれている。
日本はG7の中では唯一のアジアの国家で、これまで「対話と協力」を人権外交の基本としてきたが、他のG7諸国と日本国内の一部の人から姿勢が曖昧で、やり口も老練ではないと見られている。米国が主宰する第1回「民主主義サミット」が9日に迫っている。この時期に、一歩進んで盟主のために力を尽くすことから、幾分かの忠誠心と義侠心が見られる。
ただ、それによる結果を考えていない。米国主催の「民主主義サミット」について、もう少し言及したいことがある。民主と人権は良いもので、誰もがあこがれ、どの国もが追求するものだ。しかし、民主と人権とは何か。民主はどのように定義されているのか。どのような民主が真の民主なのか。どうすれば真の民主を実現できるのか。これらの肝心な概念がはっきりしていないにも関わらず、あわてて各自の思惑を持つ仲間を引き連れ、賑やかになっているように見えるが、できもしないことを言うほか、実際の問題を解決しない会議を開くことは、結果的にどの程度の実質的な意義があるのだろうか。よく考えるべきである。単に相手を蔑み、中傷し、人を困らせることを狙いとしているのであれば、その目的は少し卑劣になってしまう。
中国には「人を正すには、まず己を正せ」ということわざがある。米国には「民主」をテーマとするサミットを主導する心強さと自信がある以上、それは民主と人権を遂行する模範であるべきだが、実際の状況はどうだろうか。80万人以上の米国人が新型コロナウイルスによって死亡し、米政府の感染症対策の失敗に命をかけてツケを支払うこととなった。金権政治により民意が抑圧され、ヘイト政治は全国的な感染症のように広がり、暴動は国会陥落にまでつながった。マイノリティはシステマチックな人種差別にさらされ、アジア系の若者の4分の1は人種的いじめの標的となり、厳しい状況に置かれている。銃取引や銃乱射事件は過去最高を記録し、人々は社会秩序への信頼を失っている。ドイツのシュタインマイヤー大統領はかつて、米議会議事堂での暴力事件について、「上層部がうそをまき散らし、民主主義を見下し、憎しみと分裂を煽った結果だ」と直言したことがある。さまざまな事例は枚挙にいとまがない。米国自身のことはうまく対処できているのだろうか。ダブルスタンダードと偽善で世間を欺くのはやめるべきことだ。
今の時代、人類社会の発展は新たな岐路に立ち、新たな挑戦に直面している。米国の人権問題で中国を困らせようとする日本はよく考えてほしい。そして、米国には謙虚で友好的にこの世界に接し、他国の発展と強くなることを正しく見て、より美しい世界のために意義のあることをするよう望んでいる。(CRI日本語部論説員)