北京
PM2.577
23/19
先週の番組では、北京の最高気温が25℃にまで上昇して、まるで夏のようだと話しましたが、その後、気温が大幅に下がり、今週の週明けに雪まで降りました。気温が急に上がったり下がったりしていて、ジェットコースターに乗っているような感じです。三寒四温の季節、リスナーの皆さんもどうぞ体調を崩さないよう、気温の変化にお気をつけください。
先週の中国では、2つの重要な発表がありました。まずは、2月25日に、中国の最高指導者習近平氏が貧困脱却堅塁攻略戦の全面的な勝利を宣言しました。現行基準において、9899万人の農村部の貧困人口は全て貧困から脱却し、832の貧困県および12万8000の貧困村が全て貧困リストから取り除かれました。次に、2月28日に、2020年の国内総生産(GDP)が前年比2.3%増の101兆5986億元(約1676兆円)だったことが明らかにされました。中国のGDPが100兆元を超えたのは初めてです。
さて、今週も大きな動きがあります。年に一度の全国人民代表大会(全人代)、政治協商会議の年次総会がまもなく開幕することです。それに関連して、今週の番組は以下のメニューでお届けします。
▼今年の全人代・政治協商会議の注目点
▼【ツバメの目】中国経済の今と今後の動き
▼【CRIインタビュー】日本貿易振興機構アジア経済研究所上席主任調査研究員・田中修さんに聞く
北京スケッチ 朝雨に濡れる黄梅の春かな(2月28日 写真:平文智/句:王小燕)
2021年3月<今月の特別寄稿>
東京都 イタズラ爺さん・奥田正彦さん(85歳)
ぼくはよく偶然に支配されます。今回も二冊の本で偶然「石鼓歌」に出会いました。韓愈に関しては、北京に留学中「推敲」の語源について、賈島が詩の中で「推」にすべきか「敲」にすべきか悩んでいるところへ韓愈が通りがかったので、教えを請うたところところ、約束をしてきたのなら「推」、突然訪れたのなら「敲」にすべきだと答えたと教わりました。それから心のどこかに韓愈が住みついているのです。
石鼓歌
中唐 韓愈
張生手持石鼓文 勸我試作石鼓歌
少陵無人謫僊死 才薄將奈石鼓何
張生 手に石鼓の文を持って 我れに勧めて 試みに石鼓の歌を作らしむ
少陵に人無く 謫僊死す 才薄くして将(は)た石鼓を奈何(いかん)せん
詩の内容は、「張籍君が石鼓文を持って来て、試みに石鼓の歌を作りませんかとわたしに勧めるのだ。そうはいっても、少陵に住まいした大詩人の杜甫はもういないし、謫仙人と呼ばれた李白もこの世にはもういない。才能がとぼしいわたしなんかに、いったい石鼓をどうしろというのだ。」と言ったところです。
老いて目が疎くなり、篆刻が出来なくなったら手習いに石鼓文もいいかなぁと思って、2015年9月、北京に行った折に西単にある北京図書大厦で『石鼓文』の本を買いました。
その本を引っ張り出して、概説文を読んでいると、偉應物の詩『石鼓の歌』は、石鼓文を天地の間に残すことで、その奥深い意味を生死を超えていつまでも伝えていく、と、また韓愈の詩『石鼓の歌』では石鼓文の書体について、鸞(らん)や鳳が空をかけ、そのうえ仙人たちが下りてくるかのようであり、珊瑚や碧樹がたがいに枝を交えているようでもあると詠んでいる、と書かれています。折しもぼくは『韓愈』(清水茂 注・中国詩人選集11・岩波書店)を読み始めていて、口絵に石鼓文の拓本が出ているのを不思議に思っていたところでした。ただの偶然とは言い切れない気がします。
韓愈の『石鼓歌』は六十六句の長い七言古詩です。杜甫や李白がいない今、才能がとぼしいわたしなんかに・・・といいながら、この長い詩を詠みました。内容は7段に分かれています。1段目がこの4句で、序にあたる部分です。2段目は12句、石鼓が作られた時のこと。3段目は10句、石鼓文の書体について。4段目は6句、石鼓文が『詩経』の中に収められなかったことを惜しみ、5段目は18句、韓愈が石鼓を大学に置くことを長官に進言したこと。その献議がいれられず石鼓が摩滅することを気づかったことが6段目の6句に。そして最終の7段目には、天下太平のこの時代に、なお石鼓が取り収められないことをなげいて結びとしています。
<お便りありがとう!>
★東京都・三輪徳尋さん
石家荘市の様に、エアドーム式テントを設置して、圧倒的な速さで検査体制を整え、大規模に検査を可能とする仕組みは、本当に驚かされます。日本でも大いに見習い、取り入れて欲しいと思います。
日本は、いま、一人ひとりが感染抑止に向き合って「努力」しなければならない時なのだと思います。
★高知県四万十市の杉村和男さん
春節の話題をお聞きして、市役所在職中に、中国からの国際交流員と一緒に山へ登っていたことを思い出しました。日本の元日、年末年始休暇には中国へ帰省しませんので、よく登山をしました。2月に入り、春節には帰省していましたから、その時に中国の「春節」を実感したことでした。
北京放送を70年以上も聴かれているという神宮寺敬さんの話題は、絵手紙を通した長い中日交流によって、誰からも親しまれ、101歳というご高齢でありながら、今なお非常にアクティブなことに驚きました。何事も一つのことをずっと続けて、積み重ねるということが、とても大事と思いました。同時に、私もこれから、どれだけ植物の撮影、観察記録が残せるか、励まなければいけないと思った次第です。奇しくも、私の誕生日も2月です。
2月18日の四万十川です。河原の石も雪に覆われています。(撮影:杉村和男)
2月18日に四万十市入田で撮影した、「ナノハナ咲く並木道」です。雪で並木道の奥が霞み、夢の中のような光景でした。(撮影:杉村和男)
2月20日、高知県四万十町松葉川で撮影したバイカオウレン(梅花黄連)の花です。五つの葉が放射状に付いて、葉全体が紋章のように見えます。苔に覆われる空中湿度の高い、保水力に富む土壌に生育します。(撮影:杉村和男)
斎鵬さん、忙しいお正月でしたね。人の多い北京も、何年か経ったら、きっと思い出深い風景になるでしょうね。
神宮寺さんへの中国の老若男女からの、絵手紙での101歳の誕生日祝いの話題、感動しました。王さんと斎さんも色々皆さんの温かい声を集めてくださってありがとうございました。神宮寺家のご家族の皆さんも、家庭内に愛があふれていなければ、この日を迎えられなかったでしょう。中国の皆さんとおじさんご本人のインタビューは本当に微笑ましく素晴らしかったです。
でも、おじさんの最後の「あと3年は生きるつもりですから……」には声を出して笑ってしまいました。まだ20年は囲碁が出来そうですね。
中国の絵手紙の関係者の方が「絵は全人類共通の言葉」とおっしゃっていたのには深く頷かされました。もちろん、芸術、スポーツ、科学、他どんなことも、真心さえあれば、全人類が持ち得る共通の宝物だと思います。
★宮崎県・ラジオネームD.Dさん
旬の話題、春節の中国経済が活況との事で、映画は興行収入も観客動員も過去最高、外食やデリバリーフードも増益は嬉しい話題ですね。コロナ禍で各国経済が低迷の中、元気な中国経済が希望を示してくれていますよ。
そしてCRIインタビュー、101歳の誕生日を迎えた"おじさん"神宮寺敬さんへ、蘇州はじめ中国の皆さんからの絵手紙の多数のメッセージは心温まりましたね。個人のお祝いを越えて、長い北京放送の歴史、中日友好の歴史を象徴する方とも感じます。小燕さんの健康の秘訣の問いに神宮寺さんは「好きな事を言い、好きな物を食べ・・・」思うに「好きな事」がキーワードで、中国が大好き、中国人が大好き、人々と交流が大好きな神宮寺さんだから、長年好きな事をやって来た生き方そのものが、健康の秘訣なのだろうと感じました。今日のハイウェイから、とても大事な事を学ばせて頂きました。
北京でも寒暖の差が激しいんですね(北京に半ズボンはビックリ・笑)こちら宮崎も春の陽気だったり急に真冬に戻ったりですよ。お互い免疫力を高めて頑張りましょう!
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