北京
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深セン経済特区が成立40周年を迎えた。中国には孔子が遺した「四十不惑(四十にして惑わず)」という言葉がある。人は40歳になると自信を持ち、何も迷うことがない「不惑」の状態になれるという意味だ。1980年には小さな漁村だった深センは人口1300万人の国際都市へと発展し、不惑の年を迎え、中国と世界各国を繋げる窓口として輝いている。
経済特区の成立当時は、その制度・思想上の問題が疑問視されたこともあった。しかし、深センは改革開放の最前線として、さまざまな異論を解消し、自らのペースを守りながら発展を続け、「深セン精神」を成し遂げた。例えば、中国の昔ながらの思想とは大きく異なる「時は金なり、効率は命なり」という理念に基づいた経済活動がその例である。
やがて「アジアのシリコンバレー」「世界最先端都市」などとも呼ばれるようになった深セン市の域内総生産(GDP)は、1979年の30億3719万円から2019年の41兆7285億円へと、13000倍の成長を遂げた。
深センの中心地である福田区の華強北電子商業区域はよく日本の秋葉原と比較されるが、ここは一時、スマホのコピー品が氾濫し、産業改革の難問に直面した。しかし産業チェーンが整った今は世界の電子製品の中心地として多くの若い起業家を引き付け、華為技術(ファーウェイ)や騰訊(テンセント)などの大企業からも注目されている。電器店の集う華強北は、ARやVRといったイノベーション・カルチャーを体験できる場所にグレードアップし、規模にして秋葉原の30倍という世界最大の電子商店街へと膨れ上がった。
現在はファーウェイ、テンセント、ドローン最大手の大疆創新科技(DJI)といった世界的なハイテク企業が本社をここに置いている。このイノベーション都市が中米貿易摩擦やコロナ禍といった試練をいかに切り抜いていくかに一層の注目が集まっている。
深セン経済特区成立40周年記念大会で習近平主席が語ったとおり、深センは再び改革の岐路に立ち、その難易度は40年前に相当している。さらなる模索とトップダウン設計が必要とされている。習主席の演説は、中国の改革への決意と、深センを支える意志の表明でもある。
新たな出発点に立ってなお改革開放のスピードを緩めることのない深セン市が、もうこれ以上惑うことはないだろう。(CRI日本語部論説員)