北京
PM2.577
23/19
1時間目 中国で伝えられている“日本”&99歳で訪中するCRIリスナー、神宮寺敬さんに聞く
担当:王小燕、斉鵬
史上最強台風の威力に負けることなく開花した月下美人(写真提供:高橋雪枝さん)
台風19号が日本各地に大きな被害をもたらされていることに対して、心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りしています。ところで、台風19号が日本に上陸した13日夜、千葉県柏市にお住まいのリスナーさん・高橋雪枝さんの家では、年に一度の月下美人が開花したとソーシャルメディアから写真が届き、余りの美しさに圧倒されました。
さて、今日の番組、前半の「旬な話題」では最近、中国のメディアで伝えられている“日本”を取り上げます。キーワードは二つあり、“台風19号”と“日本人のノーベル賞受賞”です。
まず、台風19号については、中国のメディアやインターネットでも多く取り上げられていました。被災の様子に関する報道と共に、「首都圏外郭放水路」の稼働など日本の防災対策にとりわけ多くの関心が寄せられていました。続いて、今年のノーベル化学賞に日本人の科学者、吉野彰さん(71)が受賞したことを受け、日本人のノーベル賞受賞にフォーカスします。21世紀に入ってから、これまでのところ、日本は年平均1人のペースでノーベル賞に受賞しています。何故それができたのかが、中国のメディアやネットユーザーが最も関心を寄せていることでした。
後半は取材のコーナー、「スペシャル・バスケット」です。今回は天安門広場から西へ約3キロの民族飯店で取材してきました。
北京入りした神宮寺敬さん一行、
出迎えた民族飯店・夏敏輝総支配人(右2)らとの記念写真(写真:閻彤)
北京放送(CRI)のリスナーさんの中には、毎年の秋、稲刈りが終わった後に、家族で北京を訪れる古きリスナーさんがいます。甲府市にお住まいの神宮寺敬さん(99歳)です。今年も神宮寺さんはお嬢さん二人の同伴で、13日から北京で訪問滞在しています。旧日本軍の通信兵として中国戦も経験した神宮寺さんは、「侵略軍の一員」だったことへの反省から中国との友好交流をライフワークに地道に取り組んできました。
「歴史を振り返れば、日本と中国が仲良くした時代は、両国とも栄え、争った時代は両国とも被害を受けた。日本と中国は個人的な友好を続けていけば、戦争に絶対にならない。個人同士にとっても、国同士にとっても仲良くしていくことこそが、本来の姿だと思う。これは私の揺るぎない信念だ」
CRIのインタビューに答える神宮寺敬さん(写真:閻彤)
ところで、神宮寺さんは毎回北京に来ると、必ず泊まるホテルがあります。それは、今年で開業60周年になる民族飯店です。神宮寺さん一家にとって、ここは自分たちの「北京での家」です。1966年に神宮寺さんが初めて利用した時から数えれば、実に半世紀余りも過ぎました。月日で培われた太い絆により、今の民族飯店にとって、神宮寺さんたちは普通に予約を入れて利用する宿泊客でありながら、同時に、国境を越えた家族のような、親戚のような存在でもあります。
台風でフライトが8時間も遅延した神宮寺さん一行を、今年も総支配人の夏敏輝さんが日曜日の夜に、スタッフ一同を率いて、大きな花束を用意してロビーで出迎えました。そして、翌日、夏総支配人の主催の下、「家宴」と称している、神宮寺さんの来訪を歓迎し、ならびに白寿を祝う会が開かれました。おいしい食事が出される前には、赤いチャンチャンコならぬの赤い中国服に、書の実演、国家クラスの宴会で諸外国の要人のもてなしに借り出される料理職人が4時間もかけて作った「寿桃」(桃まんじゅう)……次から次へと披露されたのは、神宮寺さんから予約のファックスが届いた後に、4ヶ月もかけて念入りに準備してきた様々なプログラムでした……
民族飯店・夏敏輝総支配人から中国風「赤いちゃんちゃんこ」を贈呈
その場で揮毫された「寿」の書
中国の伝統的な寿桃(桃マンジュー)、大きい桃の中に入っている
小さな桃の数は全部で百個になる
新しく導入した食品プリンターを使って用意した
神宮寺さん顔写真入りの特製のコーヒー
国境を跨いで、毎年秋に北京で集まる「家族」の写真。
左から長女・敬子さん、民族飯店・呉宏富副総経理、
神宮寺敬さん、夏敏輝総経理(総支配人)、次女伸子さん
「神宮寺敬さんと民族飯店との長いお付き合いの話は、今ではスタッフ全員に知れ渡っている。民族飯店にとって、貴重な財産である。神宮寺さんが長年、中日の民間交流に果たした貢献に感謝したい。と同時に、百歳になられてもこんなにお元気でいらっしゃるその前向きな生き方に敬意を表したい。私たちの人生の手本でもある。心から尊敬している」、と夏総支配人はホテルをあげての歓待に寄せた思いを微笑みながら語りました。
戦争がもたらした心の傷を乗り越え、真の心の和解が実現できるよう、神宮寺さんは「これからも体の許す範囲で、中国の皆さんと交流を続け、友好を深めたい。戦争経験者が少なくなってきている中、戦争をやった生き証人として両国の平和を頑張って生きたいと思う」と来年以降の訪中にも意欲を示しています。
このコーナーでは民族飯店の夏敏輝総支配人と神宮寺敬さんにそれぞれマイクを向けてみました。
2時間目 中国の伝統芸能に魅了された日本人~昆劇役者・山田晃三さんに聞く(中)
聞き手:王小燕
先週に引き続いて、中国の伝統劇「昆劇」と出会って28年になる山田晃三さんにお話を伺います。
1994年1月、昆劇の稽古を始めて約3年が経った山田さんは、北京で初舞台を迎えました。当時、5~6人の日本人留学生が集まって作った「日本昆劇の友」という団体が、中国の俳優さんたちの協力を得て北京の下町である前門で行なった公演でした。山田さんが師匠のお嬢さんと共に演じたのは、「双下山」という演目でした。寺生活に嫌気がさした15、6歳の小僧が寺から逃げていくという二人芝居でした。「緊張して、手に汗を握った」が、見に来てくれた中国のお客さんから暖かい励ましを受け、「これから、もっと練習してもっと上手になって、良い舞台を演じたいという気持ちが湧いた」と振り返ります。
2002年、昆劇「羅生門後」のチラシ
数々の舞台体験の中でも、格別な思いがあるステージは、中日国交正常化30周年に当たる2002年に、北方昆劇院が芥川龍之介の原作に基づいて改編した昆劇「羅生門」(中国語原題「羅生門後」)でした。山田さんにとって、プロの役者と混じって演じ、「初めて出演料をいただいて演じた」舞台でもありました。
「それまでは自信がなかった。何とか中国の方に混じって、やっていけるかなという自信がついたのが、あの時の公演だった」
一段と成長したその時の自分を、落ち着いた口調で山田さんは振り返りました。
その後、山田さんは北京だけではなく、故郷の神戸を始め、広島など日本各地で行なわれる昆劇の舞台に出演し、また、新昆劇など斬新な試みがいろいろ行なわれている台湾にも渡り、交流公演に参加したことがあります。
役柄については、最初は「生旦浄丑」の“丑”(道化役)から始めました。しかし、「丑」は台詞やしぐさが中心で、昆劇の一番大切な要素である歌が少ないところに欲求不満がありました。歌の中にこそ、細かい心理描写もあり、難しいところであり、やりがいを感じるところでもあるからです。その後、隈取の役にもチャレンジし、最後に行き着いたのは「武生」(立ち回りが中心の男性役)でした。
2000年12月、北京・湖広会館にて上演された「西遊記・借扇」の舞台を終え、
師匠の戴祥麟さん(右)、張玉雯さん(左)夫妻と記念撮影する山田さん(中央)。
「孫悟空を演じるため、動物園へお猿さんを良く見に行ったよ」と山田さんは振り返る
ところで、昆劇の世界には、「男怕夜奔、女怕思凡」という言い回しがあります。「夜奔」も「思凡」も昆劇の伝統的な演目ですが、男女それぞれにとって演じる中で一番難しいとされている劇でもあります。中でも、「夜奔」は『水滸伝』縁の物語で、無実の罪で流刑となった林冲が梁山泊を目指す道中、心の葛藤が描かれています。上演時間は35~40分もありますが、装置は何もなく、手に持つ道具すらない舞台で役者が一人で歌いながら舞うことで表現しなければなりません。武生の力量が試される舞台として知られています。山田さんはこれまで20年近く「夜奔」の練習を続けていました。ついに2016年12月に、北京でこの舞台の上演を成功させました。
2016年12月、山田晃三さんが演じる「夜奔」
今回は28年稽古を積み重ねてきた山田さんの修業物語です。常に一段上の自分を求めて、限界に挑み続けてきた山田さん。その中で粘り強い努力もあれば、稽古を通して顔見知りになった公園の作業員や一般の見物客からの「優しくもあり厳しくもある」指導など、ほほえましく聞くことができるエピソードもたくさん披露していただきます。ぜひお聞き逃しのないように。
ところで、山田さんは練習を積み重ねるのにつれ、あるとき、師匠から大変重要な依頼が入りました。それは、「中国の子どもたちに昆劇の指導をしてください」というものでした。外国人の先生が、中国の伝統演劇の指導をするにあたり、親御さんはどのような気持ちで迎えたのか、来週も引き続き山田さんのインタビューをお届けします。(写真提供:山田晃三さん)
【キーワード】
<生旦浄丑 shēng dàn jìng chŏu>(せいたんじょうちゅう)
中国の伝統的演劇では,人物の性別・身分・性格などによって類型的に分けられた代表的な役柄を言います。
生=男役
旦=女役
浄=敵役で時に道化味を帯びるもの,または特異な性格をもつ豪傑的人物
丑=道化役、または小悪人的人物
おのおのの役柄は年齢などによってさらに細分されており、例えば、「生」には老生(ふけ役)、小生(若い男性役)、武生(立回りを主とする)。
【プロフィール】
山田晃三(やまだ こうぞう)さん
1969年神戸市出身。京都外国語大学卒業。
北京第二外国語大学での交換留学を経て、1993年から北京師範大学大学院に進学し、中日経済関係を専攻する。留学のかたわら、1991年から世界無形文化遺産である崑劇の稽古に取り組み、北方崑曲劇院の俳優戴祥麒氏、張毓文氏(国家級無形文化遺産伝承者、国家一級俳優)に師事、「夜奔」「問探」「刺虎」「借扇」「擋馬」「三岔口」「下山」「挑滑車」など多数の崑劇及び京劇を習得。
2009年~2019年、北京大学で日本語を教える。2016年2月、自らの中国論の集大成となる「北京彷徨 1989-2015」(みずのわ出版)を出版。
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