北京
PM2.577
23/19
1時間目 建築家イオ・ミン・ペイ氏逝去に中国で偲ぶ声&「中国の夢、鉄道の夢」シリーズ①
担当:王小燕、斉鵬
ピンク、白、黄色、紫と、北京では様々な花が咲き誇っています。中でも、とりわけ目立っているのは色とりどりの庚申バラです。北京で植えられている種類だけでも500あまりに達すると言われており、その中の代表的な種類の一つは、その名は「紅五月」だそうです。
花が咲き誇る五月中旬にお送りする今日の番組では、「CRI時事解説」では、「ファーウェイが窮地からの鮮やかな反撃」と題するCRI論説員の文章をご紹介します。
その後、最近いただいたリスナーさんのお便りに続いて、「旬な話題」では中国生まれの建築家、イオ・ミン・ペイ氏が16日に逝去したのを受け、中国各地で偲ぶ声が多く寄せられていることをめぐってお伝えします。世界的には、ルーブル美術館のガラス・ピラミッドを設計したことで知られているペイ氏は広州生まれの蘇州、上海育ち。1982年、改革開放初期の北京西郊外に四つ星ホテルの香山飯店を設計し、その後、北京にある中国銀行の本社ビル(1995)、蘇州博物館(2006)などを手掛け、中国大陸にも名高い作品を残しています。
最後は、新中国70周年記念の特別企画、「中国の夢、鉄道の夢」シリーズです。1回目の今日は、中国の鉄道網整備の概要を紹介した上、1865年に鉄道が初めて中国に作られた歴史も合わせて振り返ります。
鉄道ファンの皆さんがいらっしゃれば、ぜひご感想やリクエストをお願いいたします。
◆リスナーさんのお便りから
<ゲンさん>
中国の夢、鉄道の夢、オープニングの列車の音が元気が良くて、びっくりしました。中国の路線の総延長が2018年で13万1000キロとは、あんまり大きい数字で実感がわきません。1865年に北京の宣武門で500メートル走った列車が妖怪(この字でいいですか?→はい!「妖物」です-番組スタッフから) だと言って、すぐ壊されたなんて酷すぎますよね。今や自動運転の高速鉄道が縦横に走る国になりました。話題には事欠かないでしょう、シリーズを楽しみに聞くことにします。
<三輪徳尋さん>
世界における鉄道ビジネスにおいては、高速鉄道に感心が集まるのだろうと思います。今や世界一の高速鉄道網をもつ中国が新興国からの高速鉄道の導入に強い感心が集まるのは当然のことだと思います。
日本も高速鉄道については順調に稼働しているということができますが、地方の在来線については、「鉄道があるにも関わらず、鉄道を利用しないライフスタイル」が、その存在意義を脅かしています。毛細血管の様に幹線道路が造られて、高速道路も整備されています。道路沿いの土地は宅地や商業地として開発されています。鉄道が無くても生活できるエリアは地方を中心として広がっています。
また、中国大陸の様に広大な国土であれば、トラックやバスで運ぶことができない長距離を移動する手段としては、高速鉄道でなは無くても鉄道が最適だと考えられるのではないでしょうか。しかし国土の狭い日本では、価格では、安い高速バスが走り、時間では多くの空港間に空路もあり、価格と早さのバランスで高速鉄道が選ばれるものの、既存の鉄道を選ぶ経済的な理由は少なくなっていると考えられます。この先も、明るい材料を見つけることが難しくなっているものと思います。強いて言うならば国土計画が間違っていたということになると考えます。
中国には、鉄道の夢があるように思えます。高速鉄道と首都圏の鉄道網だけが存在意義がある日本には夢があるのか、このシリーズを聞きながら、日本の鉄道のあり方など調べ、考えてみたいと思います。
2時間目 中国と共に歩んだ16年~中国日本商会元事務局長補佐・中山孝蔵さんに聞く
聞き手:王小燕
中山孝蔵さん。先祖は江戸時代から東京で暮らし、本人は江戸川区生まれの東京育ち。高校時代からアマチュア無線で北京からの電波をキャッチしたことが、中国と直に触れた最初の思い出となりました。とはいうものの、中国との縁がとくに深いものでもなく、後にグローバル企業で品質管理の仕事についた中山さんは、1999年末までに中国を訪れることはありませんでした。
それでも、世の中が21世紀の玄関口にさしかかる頃に、変化が中山さんの周りにも少しずつ押し寄せてきました。1998年頃、中国向け製品の認証業務に携わったことが縁で、中山さんは翌99年末、出張で初めて中国を訪れました。
当時の日本では、海外勤務地としての中国というと、暮らしが不便な途上国というイメージが先行して、欧州やアメリカほどに人気がありませんでした。そんな中、「中山、お前北京へ行ってくれ」と言われた一言に対して、「その場で断らなかった」ことがきっかけで、2000年4月から第一回目、4年間にわたる中国駐在が始まります。このようにして、日本の「企業戦士」としての中山さんは、中国との長いお付き合いの第一歩を踏み出しました。
中山さんが日中国交正常化45周年記念に作成したアマチュア無線の交信証
それ以降、中山さんは2019年4月の本帰国までに、通算16年半もの歳月を中国で過ごしていました。「CRIインタビュー」では、これまでにはアマチュア無線の愛好家という視点に着眼して、中山さんに何度かお話を伺ってきました。今回は視点を変えて、16年半にわたった中国生活の卒業を目前に、中山さんに中国と共に歩んだ歳月を総括してもらいます。
2008年、「鳥の巣」をバックにアマチュア無線特別局の運用メンバーとの記念写真
外国人生活者としてこの間、中国で実感したことや、「中国と日本の4千年の間で、日本が進歩していたのはここ百年ちょっとの間だよ」とあいさつ回りの際に、いきなりこの言葉を言われた時の心境とその後に感じたこと、「北京と上海、どちらが好きですか」という良く聞かれる質問への答え…中国人と日本人が一緒にいれば、良くぶつかるであろう数々の「名場面」に対し、中国生活のベテランとして、中山さんはどうやり過ごしてきたのかなどなど、たっぷりお話を伺ってみます。
その上、仕事と趣味と勉学の心をめぐり、中国で受けた良い刺激を自分自身の体にどう投影したのか、あるいは、本帰国の日にちを「5月5日がリミット」と決めた理由とは何かをめぐり、その謎を一つずつ解いてみます。今回は、一会社員として、または、一人の夫として、アマチュア無線の愛好家として、そして、何よりも一人の人間として、中山孝蔵さんの実践を通して、精彩に富んだ生き方をするコツに迫ってみます。ぜひお聴き逃しのないように。
【プロフィール】
中山孝蔵(なかやま こうぞう)さん
東京都江戸川区生まれ、66歳。大手電器機器メーカーでの勤務を経て、中国日本商会事務局長補佐。
高校時代からアマチュア無線を開始して、現在も継続している。2000年から初めての中国駐在から、2019年4月まで通算、16年半北京、上海、無錫などで過ごす。2019年5月に本帰国して、現在は家族と共に東京で暮らす。
この番組をお聞きになってのご意見やご感想をぜひお聞かせください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691 東京都目黒郵便局私書箱78号 中国国際放送局東京支局】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。