北京
PM2.577
23/19
1時間目 中国が4兆元規模の新産業計画を始動&今年の全人代と政協の注目点&雄安新区をたずねて
担当:王小燕、斉鵬
北京はだいぶ暖かくなりました。日中の最高気温は15度ほどに上がってきており、ダウンジャケットからコートへと着替えている人が目立ちます。斉鵬アナは先週末、半袖姿で街を歩く人を見かけたといいますが、半袖はちょっと早いじゃないかな・・・
さて、今日の番組はまず「CRI時事解説」で、「中国が4兆元規模の新産業計画を始動、超高精細映像の世界がやってくる」と題するCRI論説員の文章を抜粋してご紹介します。続いて、「旬な話題」は開幕したばかりの今年の全人代と政治協商会議の年次総会にスポットを当てて、開催期間や出席者、ぶら下がり取材エリアの設置、中国人の注目点および今年の特徴などについてお話しします。そして、「スペシャル・バスケット」は王小燕アナが雄安新区での取材見聞を、インタビューを交えて紹介してくれます。
2月18日、日本の自治体職員や関係者ら30人余りからなる視察団が、北京市から南へ約105キロに位置する雄安新区を訪れました。日本国自治体国際化協会(クレア)北京事務所が企画し、中国各地の駐在窓口から16の自治体代表者が参加しました。クレアが雄安新区に大型視察団を派遣したのは、今回が初めてだということです。
雄安での見聞を始め、主催者代表のクレア北京事務所の北村朋生所長、団員の長野県上海事務所・滝沢俊所長に感想を聞いてみました。
2時間目 愛も音楽も永遠に続く~ピアニスト・瀬田裕子さんに聞く(3)
聞き手:王小燕、梅田謙
中国を代表するヴァイオリニストである故・盛中国さんの妻、ピアニストの瀬田裕子さんに引き続きお話を伺います。
これまでの番組でも紹介してきましたが、盛中国さんは1941年、音楽一家の長男として戦時下の重慶で生まれました。1954年、中央音楽学院付属中学校に入学。1960年には国家派遣留学生に選ばれ、モスクワ音楽院に入学して、レオニード・コーガン氏に師事します。1962年、チャイコフスキー国際音楽コンクールで栄誉賞を受賞。64年に卒業、帰国。65年から中央楽団(現・中国国家交響楽団)所属の独奏ヴァイオリニストに。改革開放の後、世界の舞台に世界的なレベルをもって立った最初の中国人ヴァイオリニストとして歴史に足跡を残し、日本との友好交流にも生涯をかけて尽力してきた盛中国さんでしたが、2018年9月7日、北京で永眠しました。
一方の瀬田裕子さんは、5歳から正式なピアノ教育を受け、1974年には東京交響楽団とモーツアルトの<2台のピアノのための協奏曲>を演奏しました。1983年に国立音楽大学器楽科ピアノ専攻を卒業。1986年、欧州諸国をめぐり、研鑽を積み、帰国後、第3回日本国際音楽コンクールの審査員として日本を訪れた盛中国さんと出会い、その伴奏を務めて好評を博しました。これがきっかけとなって、中国各地から招聘を受け、北京、上海、広州などで、デュオ・リサイタルを開催、好評を受けてきました。1994年に盛中国さんと結婚。その後、「黄金のコンビ」として知られるようになる二人は、中日両国で音楽を通した友好交流活動をライフワークとして展開してきました。
シリーズインタビューの最終回となる今回は、クラシック音楽の演奏家としての瀬田さんに、音楽が果たせる役割、今の心境、今後の進む道、今年の計画をめぐりお話を伺います。
瀬田裕子さんと盛中国さんの愛情は、夫婦間のものにとどまらない、国境と民族を超えた人間同士の大きな愛です。そして、お二人にとっての音楽は、人間が生きる上で最もピュアな、美しいものの結晶として継承されてきた文化そのものなのでしょう。お二人の愛と音楽は、これからも永遠に続くのだと、そんな感想を強く抱けた今回のインタビューでした。
この番組をお聞きになってのご意見、ご感想などをぜひお聞かせください。メールアドレスはnihao2180@cri.com.cn、お手紙は【郵便番号100040 中国北京市石景山路甲16号中国国際放送局日本語部】もしくは【〒152-8691 東京都目黒郵便局私書箱78号 中国国際放送局東京支局】までにお願いいたします。皆さんからのメールやお便りをお待ちしております。