北京
PM2.577
23/19
今週、中米両国がともに、今月23日から相手方の商品160億ドル分に25%の関税を課すと相次いで発表した。この結果、米国が仕掛けた両国の貿易戦が現実のものとなった。
米国は20世紀に2度、抜かれそうになるという経験している。一つ目は、旧ソ連のGDPが一時期米国の60%を上回ったこと。この時は米国がソ連へしめつけを加え、またソ連も致命的な誤りを犯して解体に至っている。二つ目は日本のGDPが米国の60%を超えたことである。この時は日本に「プラザ合意」への調印を迫り、円高をもたらした。加えて日本政府の見通しが甘く、通貨や財政の緩和政策を実施したことにより、大量の資金が株や不動産市場に流れ込んだ。バブルが崩壊した日本は「失われた20年」に突入してしまった。
以上のことから、米国にとってGDPの60%とはレッドラインであり、これを超えた者には容赦なく痛手を加えていることが分かる。
日米間の貿易戦を見てみると、1965年に初めて日本が黒字になり、1994年にその金額は米国の貿易赤字全体の43.16%を占める650億ドルに達した。日本経済は成長を続け、1972年にはGDPが世界第2位になり、1992年には米国の60%に、95年には71.1%に達している。
こうした中で、日本は繊維、鉄鋼、家電、自動車、通信、半導体の各業界が相次いで米国との貿易戦に巻き込まれた。1985年に米国の指図により先進5か国による「プラザ合意」に加わり、大幅な円高が進んでいった。そして1988年には対米貿易黒字が縮小している。また米国は日本に対し、1989年までにあわせて24回にわたり通商法301条を発動しており、日本は和解金の支払いや米国での工場建設、輸出制限と輸入の拡大、過剰生産対策といった対応措置を余儀なくされている。
そして2014年に、中国のGDPも米国の60%を超えた。さらに将来的に米国を上回る可能性が高いと見られ、もはや許容範囲を超えたと見た米国は去年の8月に、中国に対しても301条を発動し、ライバルというレッテルを貼り付けた。
しかし、今の中国はかつての日本とは違う。
まず、国内消費が膨大であり、また「一帯一路」といった新たな連携の枠組みを抱えている。当時の日本は、欧米を主な対象とした輸出に強く依存していた。中国は今年1~7月、「一帯一路」沿線各国や地域との貿易総額が全貿易額の27.3%にあたる4兆5700億元となり、同じ時期の米国との貿易額2兆2800億元を上回り、かつ成長率は11.3%に達している。
次に、中国は政治体制が安定し、長期的なビジョンを有しているが、当時の日本は政治環境が不安定で一貫した経済政策がなかった。1989年から2000年に、4つの政党が政権を握り、内閣は9回変わり7人の首相が就任している。政党間や部門間の争いにより、政府の情勢判断や政策の実行に甚大なる支障をもたらしてしまった。
そして中国は、世界最大規模で品種も極めて豊富な工業体系を有し、グローバルチェーンに深くかかわりこんでいて、米国で関税という「ムチ」による自国への痛手をこれまでになく多大なものとしている。コンピュータ大手のアップルを例にとると、200社を数えるサプライヤーのうち31.5%が中国の会社である。そして、テレビの組み立てに従事する会社が貿易戦による中国製の部品価格の値上がりに苦しみ、従業員126人を解雇し、サウスカロライナ州の工場を閉鎖すると発表した。
中国も日本も、急成長のさなかにアメリカに冷や水を浴びせられた。そのタイミングや締め付け手法もよく似ている。ただし、たどる運命は違ったものになるだろう。
(国际锐评特約コメンテーター:中国マクロ経済研究院対外経済研究所 李馥伊博士)