ある「本」の話

2018-06-20 10:18  CRI

ある「本」の話

 日本の日中文化交流協会の月刊刊行物『日中文化交流』の同協会創立五十周年記念特集(二〇〇六年二月二十三日号、以下略「記念特集」)、本来の意味での「本」ではないかもしれないが、その内容にはそこらの本よりもずっとずっと重みと厚みを感じるものがあり、わたしは立派な本だと思っている。

 この百ページの「記念特集」、なにがわたしを引きつけているのだろうか。そこには、いささかの私利私欲なしに、五十年にわたってひたすら日中文化交流に汗を流し、知恵を絞ってきた日本の文化人の姿を映した写真がふんだんに載っており、この人たちの活躍の脈拍がたんねんに記されているからだ。五十年のあいだに、お世辞にも大きいとはいえない―民間団体が、これほど多くの、これほど幅広い日中文化交流を積み重ねてきたことは、奇跡に近い壮挙だといえよう。

品格ということば

 「記念特集」の4ページには、一九五六年に八十人のメンバーで出発した当時の役員の名前が記されている。中島健蔵理事長のほか、梅原龍三郎、川端康成、茅誠司、木村伊兵衛、久保田万太郎、佐藤春夫、千田是也、武田泰淳、谷崎潤一郎、南原繁、松村謙三、山田耕筰……と続く、堂々としたものである。まさに、日本の品格を代表した顔ぶれだといえよう。

 この品格は、あれからの五十余年、日中文化交流協会の歴代の指導者、事務局の人たち、いろいろの感性や思想を持った幅広い会員の誠実、熱情、英知、献身に支えられて、文化という国境のない舞台で、代々受け継がれ、発揚され、輝きを放ってきたのだ。

「九十九」氏のコメント

 「記念特集」の毎年のページの文末に添えられた「九十九」氏のコメント、確かな目と明解なことばで、その年その年の日中文化交流を回顧している。創立の年である一九五六年のページの文末で、「九十九」氏は次のように書いている。わずか百余字、日中文化交流協会のすべてを言い尽くした名言だと思う。

 「事務所を用意し、財源を確保し、準備万端を整えての創立ではなかった。そのとき、この団体が五十年保つと思った人はいなかった。保たないと思った人もいなかった。そんな通俗的なことは考えず、ただ理想に燃えた人たちが創業したものだった。茫茫五十年、多くの先達の、報いられることを期待しない献身は、いつまでも光芒をはなっている」

香港まわり 直行便 定期便

 「九十九」氏の年末のコメントから日中文化交流協会の、また日中関係の来し方を綴った名作を、二、三拾って紹介してみよう。一九六四年、中華人民共和国建国15周年の年のコメントで「九十九」氏は、次のように書いている。

 「国慶15周年を祝う協会代表団は往復とも、ちょっとした事件に見舞われた。往路の事件は、中島理事長夫婦に香港の通過ビザが発給されず、やむなくプノンペン経由で北京に向かったことである。

 所用のため中島夫婦と杉村春子、白土吾夫は数日繰上げて帰国し、残りの六氏は十月十八日に香港から羽田へ飛ぶことになった。復路の事件はここで発生したのである。香港の啓徳空港を離陸後しばらくして、DC8機のエンジンが突如火を噴いたのである。客室の窓は黒煙の煤で目つぶしを食ったようになり、乗客は一時騒然となったが、協会の一行は泰然自若、土岐善磨団長と牛原虚彦は救命胴衣も着けずに瞑想に耽り、中川一政は状況を詩作、木村伊兵衛は機の内外をカメラに収めそのフィルムをビニールの袋に入れ救命胴衣にくくりつけていたという。機長の適切な判断で香港に逆戻り、事無きを得たが、帰国は一日遅れた」

 懐かしい。あのころ、日本からの来客はすべて香港まわり、わたしも何度か広州、深圳まで日本からの来客を迎えに行ったことがある。北京から特急で四十八時間、定員四人のコンパートメントの車室にわたし一人だけということもあり、北から南へ移りゆく風景を汽車の窓から心ゆくまで楽しんだ。

 もう一篇、一九七四年、中日定期航空路開設の年のコメントで、「九十九」氏はこう書いている。

 「『上海空港、快晴、東の風六メートル、薄いかすみ、視界十キロ以上。日航機は八千五百メートル、全日空機は九千五百メートルで飛行プランどおり進入せよ』一九七二年八月十六日午前八時、上海空港管制塔からの声が羽田の運輸者東京航行局に飛び込んできた。女性の美しい英語である。戦後初めての日中直交便の主役、上海舞劇団の一行二百余人と、当協会代表団五人などが、日航機と全日空機に分乗し、東京から上海へ直接飛んだのは一九七二年のこと。それから二年後の七四年九月二十九日に定期航空路が開設され、日中間の往来は香港経由の煩わしさから解放され、大きく発展した」

 中日定期航空路の開設によって中日間の交流はたいへん便利になったのだが、わたしの四十八時間の北京~広州の楽しい汽車の旅にはピリオドが打たれてしまった。あれから三十余年、広東には一度も行っていない。本場の広東料理ともすっかりご無沙汰している。

 「記念特集」は、まさに「本」である。日本の文化人の良心、知恵、勇気にあふれる立派な「本」である。わたしは、これからも折折にこの「本」のページをひもといて心を洗い、知恵と勇気をいただきたいと思っている。「記念特集」は、わたしの座右の「本」なのである。

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