北京
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毎年4月になると、北京放送局の庭の桜が花を開く。20本、まさにちょっとした桜の園だ。垣根(鉄柵)越しに、地下鉄の駅前の道からも眺められるので、小さいながらも北京の桜の名所として紹介した新聞もある。
北京放送日本語部のスタッフ平文智さんの記憶によると、この桜の苗木が北京放送局に届けられたのは10数年前の1996年5月4日、さらに複数の人の記憶によると、長野県北京放送を聞く会と長野中国語を学ぶ会に託されて苗木を持ってきたのは、聞く会会員の大塚健三さんだったらしい。赤ちゃんを抱くようにして、北京空港のゲートを出てきたという。
この桜の苗木、はたして北国北京の土地に根を下ろし、枝を伸ばし、花を開いてくれるだろうか。正直言って、私は自信がなかった。
というのは、1972年の中日国交正常化を祝って日本から贈られた桜の苗木を北京に根付かせる過程を取材したわたしは、これが並大抵のことでないことを目撃してきたからだ。最初に植えられた天壇公園の園芸関係者は、風避けの囲を造ったり、小さな布団をかけてやったり、夜中に風が吹きだすと飛び起きて見回りをしたり……。だが、天壇公園の土は日本の桜に合わなかったようだ。あちこち探し歩いたすえ、北京西北部の玉淵潭公園に移された。東湖、西湖、八一湖という3つの大きな池に囲まれたこの公園は、その昔、皇帝の御苑があったところ、千万平方メートルの水上面積を持つこの公園のしっとりとした土は日本の桜の成育に向いていたようだ。桜は息を吹き返し、みんなをほっとさせた。この公園には、その後も桜が次々に植えられ、いまでは2000本ほどの桜、毎年4月はお花見のお客さんで賑わっている。
まあ、こんな紆余曲折の歩みを取材したこともあって、私は北京放送の庭に長野の桜を咲かせることに自信がなかった。
ところが奇跡が起こったのだ。咲いたのだ、北京放送の庭に、長野の桜が。しかも、毎年の4月に満開の桜で私たちを楽しませてくれるのだ。長野県北京放送を聞く会、長野中国語を学ぶ会の仲間の友情を伝えてくれているのだ。
なぜ奇跡が起こったのだろう?私の頭に浮かんだのは、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」という孟子のことばだった。北京放送の庭で、4月が来ると誇らしげに花を聞く桜は、天の時、地の利、人の和のすべてに恵まれて、花を開くようになったのである。
まず天の時。大塚健三さんが桜の苗木を抱えるようにして北京空港のゲートを出たその数日後、私は北京の新聞をみていて背中に冷や汗が出るのを感じた。税関の通知として外国から病虫害が入るのを防ぐため、植物の通関をきびしく制限するというのだ。そのリストにはなんと桜も挙げられているではないか。もしも大塚さんの北京到着が数日遅れていたら、あの苗木、没収されていたかもしれない。まさに天の時がわれに利したのである。大塚さんは、まさに滑り込みセーフだったのである。
次に地の利。桜が植えられた北京放送の庭の北から西にかけては、15階建ての北京放送ビルがそそり立ち、北京の冬の冷たい北西の風を遮る「長城」となっている。そして、さらに北には八宝山という小高い丘が東から西に伸び、これも冷たい北西の風を防ぐ「砦」となっているのだ。桜はこうして「長城」と「砦」に守られた南側の庭の一番南に植えられている。その南側には高い建物はなく、一日中日当たりがいい「宝地」(絶好の場所)なのである。これが地の利である。
最後は人の和。孟子が言うように「人の和」はすべてに優るのだが、北京放送の庭の桜が奇跡的に花を開いてくれているのも、とどのつまりは長野県北京放送を聞く会会員、長野中国語を学ぶ会会員の「人の和」、北京放送局局員の「人の和」、そしてこれを結ぶ中日の「人の和」があったからだろう。
長野県は、日中友好の面での「一日十円」運動の発祥の地として、中国でもよく知られている。長野で冬季オリンピックが開かれたとき、長野の日中友好協会の呼びかけで「一日十円」運動が進められ、このお金で中国の草の根、お役人や有名人でない中国の「老百姓」を長野冬季オリンピック参観に招いてくれたのだ。私の知人(定年退職したばかりの女性職員)もこの幸運に浴して大変感激していた。長野の人たちと暮らした一週間は一生忘れられませんと言っていた。彼女の明るい笑顔を見ながら、私は「一日十円」はお金の問題ではない、「人の和」、和の心の問題だと思った。長野の桜の苗木も、きっここうした長野の人たちの「人の和」に支えられて北京に届けられたのだろう。
受け入れ側の北京放送局でも、全局員あげての「人の和」で長野からの桜の苗木を迎え、育てた。植樹式には局長、副局長はじめ百人ほどの局員が出席した。桜を植える場所は局長会議で庭の一番いい場所が選ばれた。3月の末から4月の初めになると、日本語部だけでなく、英語、フランス語、ドイツ語、ベトナム語、カンボジア語、朝鮮語、アラビア語、スワヒリ語、ロシア語……、などなどのセクションのスタッフが桜の園に集まってくる。そして、「いつ開くかな」と桜の枝に暖かい瞳を注ぐ。全局あげて、桜のすこやかな成長を願っているのだ。
なかでも、桜のすこやかな成長に一番気を使い、汗を流したのは、放送局の庭の手入れをする園芸係の人たちだろう。何回も桜育ての経験がある人を招いて教えを乞い、毎日桜の木を一本一本点検して廻り、冬が来る前に厚くて丈夫な風避けを一本一本の桜の木の北側に建て、夏が来ると一本一本の桜の木を蝕む虫を、一匹一匹ピンセットで取って歩き……。そろそろ定年が追った昨今は桜育ての後継者育てに忙しいとのこと。
国境を越えて、世代を超えて拡がる「人の和」、長野から贈られた北京放送局の庭の桜は、それを寿ぐかのように今年の春も満開、その桜を眺めながら、この日のために汗を流し、知恵を絞り、財布をはたいたあの人、この人の顔が浮かんでは沈み、沈んでは浮かぶのだった。
―――さまざまの事思い出す桜かな(芭蕉)