北京
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中日国交正常化45周年特別企画 「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。
今年は中日国交正常化45周年です。この記念すべき年を迎えるに当たり、中国国際放送局は特別企画「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」を毎週土曜日にお送りしています。今日は、中国の伝統楽器で日本と中国の人々の心を掴んだ音楽グループ「女子十二楽坊」についてお話いたします。お相手は藍暁芹です。
2003年3月、私は中国国際放送局の特派員として東京支局で仕事を始めました。その年の7月に、中国の伝統楽器を演奏する女性音楽グループ「女子十二楽坊」が日本に進出し、瞬く間に「日本で社会現象を巻き起こした」とまで言われましたていました。もともと中国の民族音楽が大好きな私は、当時この「女子十二楽坊」に密着取材をし、その時のことは今でもは今でも鮮明によみがえてきます覚えています。
お聞きになっている頂いている曲は「女子十二楽坊」の代表曲のひとつ、「奇跡」です。これを聞いて「懐かしいなあ」と思われる方もけっこういらっしゃると思います多いのではないでしょうか。2001年6月に北京で結成したされた「女子十二楽坊」が日本で成功したのは、この曲のタイトルの通り、「奇跡」のようなものを起こすことができたからなのですかもしれません。
2003年7月、『「自由』」、『「奇跡』」などの代表曲とともに、日本のヒット曲のカバーもを含むCDアルバム『女子十二楽坊〜Beautiful Energy〜』が日本で初発売され。、このアルバムは初日はで1万枚、2カ月間でおよそ200万枚を売り上げるミリオンセラーが完売されとなり、大ヒットとなりました。そして2003年度ゴールデン・アロー賞音楽新人賞、第18回日本ゴールドディスク大賞ではグランプリに当たるアーティスト・オブ・ザ・イヤー洋楽部門など3部門をを受賞しました。さらに2003年の第54回NHK紅白歌合戦ではオペラ歌手・錦織健との共演で出演しました。で出場を果たし、2004年1月2日には武道館コンサート、4月1日から5月8日までは、およそ1カ月に渡って日本の全国32カ所で公演する全国ツアー32の公演をも行いましたこなしました。
当時、私のインタビューを受けたのプロデューサーの・王暁京氏によりますと、選ばれた13人は全員が幼少小さいの頃から中国伝統楽器の英才教育を受けた立派なトップレベルの演奏家である一方、さらにその容姿も重視しているされているということですということです。二胡や揚琴、笛、琵琶など伝統の的な民族楽器で演奏構成されていますが、表現の形は一新されました伝統に囚われない新しいものでした。もともと座って演奏する二胡や筝、揚琴などがを立って演奏するようになりし、時には動きをつけて踊ることもします。演奏分野するジャンルはも、ポップ・ミュージックからクラシック音楽、中国民族音楽までと非常に幅広いものですす。
また、二胡の音色は日本人の気持ちをよくうまく表現できるという評判でになり、かなり前から日本で二胡の教室は雨後の筍のように次々に現れて大人気となりました流行りだし、二胡の教室は雨後の筍のように現れていました。女子十二楽坊の曲は親しみやすいということさもであり、日本の人々の心を掴みました。
2003年8月23日、私は東京都の・恵比寿で行われた「女子十二楽坊」の初コンサートに取材に行ってきました行きました。満席でとても熱い雰囲気の中熱気溢れる満席の会場では、涙を流しながら拍手を送る観客もいました。後で話を聞いてみると聞いてみたら、「素敵な音色で、癒されました」と答えてくれました。
公演や番組の出場出演で活躍する一方中、女子十二楽坊は日本の人々との交流をさらに深めていくことにしましたきました。2004年3月新潟中越地震を受けて、女子十二楽坊は新潟で2回のチャリティー公演を行いました。それに先立ち、メンバーらは県庁を訪れ、泉田知事に中越地震の義援金、7百00万円の目録を手渡しました。メンバーを代表して琵琶担当のジャン・シュアンさんは「音楽の力で心を癒して、元気になってください。一日も早い復興を祈ります」とメンバーを代表して琵琶の演奏を担当するジャン・シュアンさんはお見舞いの言葉を述べました。泉田知事は「暖かい温かい気持ちをしっかりと被災者の元に届けます」と約束したということです。
「女子十二楽坊」が日本でデビューしてから、既にかなり時間が立ちました。10年以上経ちますが、今でもその音楽が大好きな人は少なくありませんを愛着している方は少なくないようです。東京都在住にお住まいの西山さんは、2014年6月の自身のブログで「ゴルフ場の往復などで1人で運転をしているとき、妙に聞きたくなるのが『女子十二楽坊』の音楽です。もう1010年前になりますか。東京国際フォーラムで開催された女子十二楽坊の東京公演。素晴らしかったなあ…」と書かれています綴っています。また、30代前後の日本の若者は「中学時代に学校の放送で女子十二楽坊の曲がよく流されたれていた。今でもそのメロディがを口ずさむことができる」としています語っています。
ところで、日本でヒットした後、「女子十二楽坊」は、中国でも若者をはじめとして多くの人々、特に若者にに知られ、その音楽は愛されるようになりました。舞台だけではなく、トーク番組などにも出演し、日本で感じたことや日本人との交流を全国に向けて伝えています。
しかし、残念なことにプロデューサーの王暁京氏は2015年5月、病気で亡くなり、ました。一方さらに、「女子十二楽坊」を卒業したメンバーも相次ぎますした。去年、結成15周年を記念して9年ぶりとなる日本で三つの公演を行いました。その際のグループ構成は、初期メンバー3人に新メンバー9人と顔ぶれは大きく変わりましたです。それにしでもでも観客にもたらすした情熱や癒すしの力は色褪せてはいないと評価されています。
「音楽には国境はない」とよく言われています。「女子十二楽坊」は、更に活躍していき、これからも音楽を通じて中日両国の人々の心を繋がせたげと思います。ていくことでしょうその力は、今後も発揮していくでしょう。
中日国交正常化45周年特別企画 「国交正常化45年の歩み―あの日、その時」。今日は2003年に日本でブームを起こした中国の民族音楽グループ、「女子十二楽坊」についてお話しました。最後に「女子十二楽坊」が演奏する「川の流れのように」を聴きながらお別れです。お相手は藍暁芹でした。