北京
PM2.577
23/19
地下鉄一号線と十号線の交差する国貿駅のC口を出ると、目の前に雑踏が現れる。しかし、視線を少々左手後方にスライドしていくと、所謂北京のイメージを完全に破壊する建築群が現れる。その名もチャイナ・ワールド・トレード・センター、中国語では国貿中心となる。
この建築群はすでに20年以上の歴史を持つが、その中でも近年になって建てられた3期と呼ばれる一番高い建物とショッピングモールの結合体は、新しいせいもあり、近未来的な作りとなっており、シャングリ・ラ・ホテルの一部として、極めて格調高いテナントを集めている。
今回、その一番目立つモールの3階に店を構える「なだ万」からのお誘いを頂き、お店を訪ねることとなった。
日本ではすでに有名な「なだ万」は1830年創業の言うまでもない老舗であり、中国でもシャングリ・ラ・グループのパートナーとして3店舗(北京・上海・広州)を展開している。そのうちの一つにあたる「北京なだ万」は、北京にオープンしてすでに20年を超える古株だ。
今回のお題は、11月の懐石メニューだ。「なだ万」では、毎月懐石のメニュー内容を変更しており、季節に合わせた新鮮な材料を使用した逸品を組み合わせた懐石を提供している。今回は、その試食会にお呼ばれすることとなった。
では、早速その「葵懐石」を紹介していこう。
こちらは先付の厚揚げ豆腐だ。出汁で煮込まれた揚げ出し豆腐には、生ウニ、浅葱、紅葉おろしが添えられている。素材それぞれの個性が生きており、どれもあっさりとした味わいだ。
特にウニは非常に舌触りがよく、どちらかというと豆腐よりもウニに気が集中してしまった感じがする。また、脇役に周りがちな出汁もよい味が出ていて、思わず全部飲んでしまったほどだ。すまん、豆腐。
そして、間髪を入れずに出されたのは、こちらの旬菜。
さまざまな品が箱庭のように並べられ、手をつけるのが躊躇われる。しかし、食べなければ話もできないので、遠慮はしないことにする。
紅線菜と焼き椎茸の煮浸しは、地味ながらも懐かしい歯触りを感じさせる。家に帰ると、母親がよく作ってくれる伝統的な味を思い出した。
そしてエビのカシューナッツ揚げは、香ばしいナッツの中に柔らかいエビが包まれている。これはどちらかといえば、中華で食べた舌触りだったが、ここでは見事に日本料理に溶けこんでいた。ちょっと小さめなのが残念なくらいな一品だ。
「鱒の介と長芋の博多 土佐酢ゼリー」は、鱒と長芋の歯応えが面白い。一口食べると、「え?刺身じゃないの?」とばかりの驚きを感じる。
「茶振り海鼠(なまこ)」は、元々ナマコ嫌いな僕にもいい意味で刺激になった。
両方とも、ただの置物かと思わせる容れ物に入っていたので、味よりもそっちに気をとられてしまった分、ささやかなサプライズだった。
同行したロシア人記者も「一番美味しかった」と唸ったのが、このフォアグラ茶碗蒸し 蟹身餡だ。しっとりとした舌触りと、甘みのある味は、フォアグラにカニという組み合わせの醸し出したものだったのかも知れない。日ロ揃ってオススメの一品だ。
次は造りだ。本鮪、サーモン、甘海老の組み合わせに、銀杏の葉。三原色ではなかったが、季節の彩を集めたデザインと、刺し身そのものの食感は、北京ではなかなか味わえない感覚だった。以前取材で寿司店に行った際に、店の大将が話してくれた包丁の使い方を思いだしながら一切れ一切れ頂いた。まろやかとしか言いようがない味だった。最近本を読む時間がなく、語彙の乏しさを覚える一瞬だった。
さて、次に出てきたのは煮物の銀鱈だ。白髪ネギと七味唐辛子、香菜に彩られた絵柄は、食欲を誘ったが、魚の脂で煮込んだと謂う煮汁が少々脂っこすぎ、ここまでのあっさりしたヘルシーな感じを打ち消した感があり、些か残念な感じを覚えた。
続けてやはり少々脂っ気のある焼物。オーストラリア産の牛肉の網焼きだ。舞茸、焼野菜、クレソンが添えられているが、脂っこさは隠せなかった。僕自身がレア好みなせいもあり、ちょっと減点せざるを得ない出来だったのは、残念なところだ。
そして、この時点で、懐石ではあるのだが、ロシア人記者と僕は既に満腹状態。
「もうお腹いっぱいだねー」と、メニューに目を落とすと、なんと「握り寿司5種盛り 赤出汁」とある。・・・・意地汚いわけではなく、これも食べた。何と言っても、正直にこれは美味しかったのだ。
昔から赤出汁が好きだったので、ここでは既に満腹ながらも堪能させて頂いた。
既に大きくなった腹部を押さえつつ、最後のデザートに挑む僕たち。目の前に出されたのは、クルミとナツメのホットスープだった。控えめな甘さの中に芳るクルミの味が印象的だった。これは・・・健康そうなので家でも作れたらな・・・と思わせる味だった。
流石に懐石だけあり、これだけのセットのお値段は938元(16000円相当)。値段的には日本よりも高くなっているのだが、ホテルのテナントとしては、致し方ない部分もあると察する。空気には目を瞑って頂き、非日常的な空間で味わう故郷の味と考えれば、ないこともないだろうし、外国のクライアントを接待するにはこれ以上ない場所と言えるだろう。
マネージャーの竹中さんによれば、利用客はやはり現地の人が多いらしく、日本人比率は高くない模様なので、中国寄りのメニュー作りもあると考えられる。しかし、中国滞在が長くなり、舌が中国よりになっている方々には、是非こうしたお店を利用することで、日本の感覚を取り戻して頂きたいと考える。それだけの味であることは、ご理解頂けたのではないかと思う。
食へのこだわりは人それぞれ。実際の味への評価は皆さんにお任せするほかない。が、僕のような20年選手にとっては、極めて良いリハビリになった一食であったことを、ここに記しておきたい。
(向田和弘 2017年11月6日取材)