北京
PM2.577
23/19
1時間目 短期留学で感じた中国~広島大学の学生たちの感想
担当:王小燕、斉鵬
食欲の秋、中国では蟹がおいしいシーズンになりました。こんな秋が深まる北京からお送りする今週の番組は、先日、北京にある首都師範大学で3週間の短期留学をしていた広島大学の学生の皆さんにマイクを向けてみました。
23名の中、中国が初めてという学生が多かったですが、来る前のイメージと来てからの実体験の間に、どのような違いを感じたのか。日本人若者のフレッシュな中国体験をぜひお聞きください。
2時間目 中日国交正常化の源流をたどる~西園寺一晃さんに聞く①
聞き手:王小燕
中日国交正常化45周年記念にちなんだ特別企画をお送りします。ゲストは、1950年代末から「民間大使」として招聘された父・西園寺公一氏と共に、青少年時代の約10年間を中国で過ごした西園寺一晃さんです。
1956年、新中国と日本との関係をめぐり、一連の良い機運が起こりました。まず、10月に日本とソビエト連邦が「日ソ共同宣言」により国交正常化を実現し、東西対立の冷戦構造に穴をあける動きとなりました。続いて、12月23日に、中華人民共和国を含む共産主義国との国交正常化を主張する石橋湛山内閣が日本で誕生しました。
こうした中、国交正常化の政府間交渉に向け、事前準備のため適任者に北京に来てもらいたい…。それが中国側の望みでした。その相談を受けたのが、当時、国際組織「世界平和評議会」のジュネーブ事務局にいた西園寺公一さんでした。人選に関して、中国側代表の寥承志氏から挙げられた条件は、「①左側と右側の両方に友人がいて、顔が広い者 ②中国に友好的な感情を持っている者 ③私利私欲のない者」というものでした。
相談を受けた西園寺さんは日本に戻り、様々な人と話をしましたが、そこで皆が口をそろえて言ったのが、「西園寺さんが行くのが良い」という意見でした。
ところが、当時わずかに表れた国交正常化の機運は、そう長くは続きませんでした。石橋内閣はわずか2か月で終焉し、その後に発足した岸信介内閣は蒋介石政権の大陸反攻政策に支持表明をした保守政権でした。
「梯子が外された思いでした」と一晃さんは振り返ります。それでも、西園寺公一さんは中日国交正常化を世界平和運動の一環としてとらえ、中国行きの準備を進めていました。
「きちんと腰を落ち着けてやるために、家族と一緒に行きたい」というのが中国側に出した要望でした。
東京の自宅での家族会議でお父様が話されたことについて、当時16歳だった長男の一晃さんは「良く理解はできなかったが、鮮明に覚えている」と言います。
その言葉とは、「これから中国という国は大変大きな存在になる。そういう中国に行って、たくさん友達をつくって勉強して、それが必ず将来役に立つ。だから、一緒に行かないか」でした。
今回もこのコーナーでしか聞けない秘話がたくさんあります。詳しくはぜひ番組をお聞きください。
【プロフィール】
西園寺 一晃(さいおんじ かずてる)さん
1942年、西園寺公一氏の長男として東京都に生まれる。
1958年、一家で中国に移住し、10年間北京市で過ごす。
1967年、北京大学経済学部政治経済科卒業。同年、日本に帰国後、朝日新聞社に入社。同社調査研究室に勤務し、中日友好事業に長年携わる。
日本中国友好協会全国本部副理事長、参与、東京都日中友好協会副会長、工学院大学孔子学院学院長などを経て、現在は東京都日中友好協会顧問、東日本国際大学客員教授、北京大学客員教授、中国伝媒大学客員教授。
父の西園寺公一氏は参議院議員を務めた日本の政治家で、1958年に日中文化交流協会理事、アジア太平洋平和理事会副理事長に就任。中日国交正常化前の中日民間外交の先駆者であり、民間大使と呼ばれた。中国在住時(1958-1970年)には毛沢東主席、周恩来総理と親交を結んだ。