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一時間目 「天宮二号」宇宙の旅、中国農村歩き~山東省房干村の巻①
担当:王小燕、斉鵬
9月15日(中秋節)に、中国は無人宇宙実験室「天宮二号」を打ち上げました。今回はスイスとの提携による「ガンマ線バースト」と呼ばれる天体現象の観測や研究など14項目の科学実験を予定しています。観測に使われる天体望遠鏡の正式名称は「天極」。またの名は「小さなミツバチ」。この望遠鏡で宇宙の一体何が見えるか。この他、来月には宇宙飛行士2名を搭載した有人宇宙船「神舟11号」の打ち上げも予定しています。2名の宇宙飛行士は過去最長の30日間滞在を目指すということです。これからしばらく宇宙からのメッセージに目が離せません。
後半の「スペシャル・バスケット」は、シリーズ企画「中国の農村を歩く」です。1回目の今回は山東省莱蕪市房干村です。
「房干村」は170世帯、550人の山村です。昔は「村に入る道はなく、山に木がなく、溝に水もない。食べるものも住む家もない」と言われるほどの貧村でした。しかし、1978年、中国で改革開放政策が始まり、生姜の栽培を手がけ、衣食足りる生活を送れるようになりました。貧困から脱したものの、周りの村も皆生姜栽培を始めた結果、生姜の値段が下落し、豊かな収入が得られなくなりました。
そこで20年ほど前、村のリーダー・韓増旗書記は活路を観光業に求めました。最初は皆が反対しましたが、大変成功したのです。今では、村の1人当たりの年間純収入は全国平均の約1万元(2015年)の3倍にあたる3万元に達しました。更に、房干村は周りの村と連携して、引き続き観光開発のエリアを拡大していこうとインフラ整備に力を入れています。
このような房干村ですが、20年前から中日両国の学者による農村調査が継続的に行われています。今年も日本から、早稲田大学の堀口健治名誉教授を初めとした調査グループが入りました。今回はメンバーの一員である、東京大学の菊池真純特任准教授と一緒に村を散策してみました。
<写真で見る房干村 范為仁撮影>
二時間目 仕事のやりがいと生活の充実、両立のコツは~藤田安彦さんに聞く
聞き手:王小燕
6月21日の番組で、「学生手話交流に寄せた思い」と題して、藤田さんのインタビューをお送りしました。今回はその藤田さんが何故手話に目覚め、どのようにして身障者関連の事業に携わるようになったのか、その源を掘り下げます。
藤田さんは1941年北海道旭川の生まれ。父親は戦場で帰らぬ人となりましたが、母親とその親族たちの愛に包まれて育ちました。中学から、伯母の好意で東京の学校に転校。転校先で思いもよらない自信を得る出来事がありました。
「旭川にいた頃、教育熱心なおじに英語教科書を丸暗記させられました。それが東京に行ってから、たまたま同じ教科書を使っていたので、先生とクラスの子たちを驚かせました」とのこと。
そこから外国語に目覚め、知らない国への好奇心が芽生えました。大学卒業後、「大企業よりも中小のほうがチャンスが多い」という先輩のアドバイスから、のちに「オムロン」と改名される「立石電機製作所」に就職。サラリーマンとしての第一歩を踏み出しました。
「入社してから、創設者の立石一真氏に言われたことで、今も忘れることができない教えがあります。『会社は利益が出てから社会貢献活動をするのではなく、利益が出ても出なくても地域社会に貢献しなければならない』というのです」
「自分にできることは?」と考えた藤田さんは、子どもの時の思い出が蘇りました。
「子どもの時から犬が好きでした。自分の飼っていた犬をうっかり放したところ、野良犬対策の市役所の人に連れていかれてしまい、泣きながら親と一緒に取りにいったことがあります。犬とかかわる仕事で、盲導犬や聴導犬の訓練士になれないかな」と思ったのが、ボランティア活動に向かった第一歩でした。
ご存知のように、「立石電機」はその後、日本経済の成長と共に世界的な企業に変身。藤田さんも仕事で世界各国を飛び回り、中国では大連に続いて、上海工場の立ち上げにも携わりました。
2001年 オムロン時代の藤田さん 中国手話学習DVDリリースの記者会見にて
上海工場の立ち上げ準備をしている真っ最中、責任者で現場にいなければならないはずの藤田さんは、1ヶ月もの長い休暇届けを出しました。何があったのでしょうか?休みをもらって向かった場所は?
「中小企業」のサラリーマンが世界に発信する国際組織のCFO(財務総監)、そして、中国に日本文化を紹介する団体の責任者…さらに、ライフワークとしている手話交流。今回は藤田さんの人生物語です。
仕事のやりがいと生活の充実は両立できるのか。ベテランサラリーマン藤田さんに伺いました。
【プロフィール】
藤田安彦(ふじた・やすひこ)さん
早稲田大学・北京教育研究センター 顧問
1991年、「欧姆龍(大連)有限公司」の初代総経理として、中国初の車椅子対応のバリアフリー工場を建設し、身障者2人の採用を実現。
1992年、日本盲導犬協会・理事に就任し、世界介護犬協会ADIのVoting Memberとなる。
1993年、アメリカ・マサチューセッツで「聴導犬訓練士」の資格取得、NPOなどのファンド・レイジング(資金集め)を学習。
1999年、中国で初めての「手話学習教材(家庭版)」VCDを制作し中国手話普及に貢献。
2001年から、フィリピンンのラモス元大統領らが提唱し、民間主導のダボス会議アジア版の世界経済フォーラム「ボアオ・アジア・ フォーラム」の設立・運営に携わり、財務総監(CFO)として、人事体制構築や会員募集ならびに資金集めに貢献するなど、中国をはじめ参加のアジア26カ国のリーダーとのネットワークを構築。
2004年、国際交流基金北京事務所・所長に就任、北京日本文化中心を設立。日本企業の社会貢献活動の調査を実施し中国各地でその調査報告会を開く。大江健三郎氏や羽生善治四冠の講演会や日本盲導犬デモの実現など日本紹介に尽力。
2009年、日本の留学生10名と四川大地震被災地の障害者を慰問。日中学生手話交流実行委員会を設立、第2回から毎年南京市を訪問し日中学生の民間草の根交流活動を実施。
2010年、現職。
趣味:中国手話。
所属:日本盲導犬協会・評議委員