早春韓愈(唐)
天街小雨潤如酥
草色遥見近却無
最是一年春好處
絶勝煙柳満皇都
早 春 韓愈 (唐)
天街は小雨酥の如く潤う
てんがいはしょううそのごとくうるおう
草色は遥かに見るも近づけば却って無し
そうしょくははるかにみるもちかづけばかえってなし
最も是れ一年春の好き処
もっともこれいちねんはるのよきところ
絶だ勝る煙柳の皇都に満つるに
はなはだまさるえんりゅうのこうとにみつるに
天街とは都の目抜き通り、皇都は都長安。
作者小伝
韓愈(七六八~八二四)、南陽(河南省南陽市)の人。兵部侍郎(国防次官)、吏部侍郎(人事次官)などを歴任。散文に秀れ、唐宋の八大家に数えられ、李白、杜甫、白居易とともに唐詩の四大家とされる。
選者のひとこと
春を待ち、春を呼び、春を尋ね、あちらで一つ、こちらで一つ春と巡り合う喜び、早春の喜びである。四ヶ月という長い冬に閉ざされる北国北京の早
春はひとしおだ。「遠い緑は近づいてみると消えてしまった」と詠う韓愈の『早春』のひとくだり、ここには物理的なものもあろうが、心理的なものがあるかも知れない。春を待ち、春を呼び、春を尋ねる心も遠くの緑を濃くしてくれるのではないだろうか。韓愈が「最も是れ一年春の好き処」と詠って、早春を一年でもいちばん好い季節としたのも、多分に心の問題があるのではないかと思う。
桃之夭夭
桃 夭 詩経
夭夭たる桃
ようようたるもも
灼灼なり其の華
しゃくしゃくなりそのはな
之の子于に帰ぐ
このこここにとつぐ
其の実家に宜しからん
そのじっかによろしからん
夭夭たる桃
夭夭は美しく若々しいさま、灼灼は美しく明るいさま。和文調にしてみると、桃の若木のあでやかさ、燃えんばかりの赤い花、そんな明るい娘が嫁ぐ、向うさまにもよろしかろ、桃の若木のあでやかさ。
作者小伝
紀元前四七0年頃に成った中国最古の詩歌集『詩経』のなかの詩のひとくだり。もちろん読み人知らず。
選者のひとこと
友人は娘に麗桃という名をつけた。桃の花のように美しく明るく育つようにと。麗桃はもう嫁に行き、子もできたが、いまも美しく明るい。孫ができても、きっと美しく明るいことだろう。友人は数年前に亡くなったが、きっとあの世でいい名をつけてやったと喜んでいるだろう。ちなみにわたしの作った「北京花ごよみ」には、「三月十四日、桃の花ひらく」と書かれている。
陽春歌 孟珠(魏)
陽春は二三月
ようしゅんはにさんがつ
草も水も同じ色なり
くさもみずもおなじいろなり
条を攀いて香わしき花摘めば
えだをひいてかぐわしきはなつめば
言う是れ歓の気息かと
いうこれなれのきそくかと
歓は女性が男性を呼ぶ「あなた」といった感じのことば。三国時代の魏から隋までの六朝のころ、よく使われた。
作者小伝
孟珠は三世紀前半、魏の人という以外は生没年不詳、丹陽(南京市の南)の生まれという。
選者のひとこと
人の記憶はいろいろのルートで脳裏に刻まれる。目から、耳から、鼻から、口から、、、、、、。母の乳房の匂いは夢幻かつ強烈な記憶となって脳裏に残る。鼻からの記憶は本能的なのだろう。春の野の花の香りに、愛する男を感じるという最後のくだりにも、そうしたものが読みとれる。
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