今年8月22日は、中国の故トウ小平氏生誕100周年の記念日です。トウ小平氏は中国の改革開放と現代化建設の総設計師であり、優れた外交家でもあり、長期的かつ戦略的な目で中米関係を処理しました。トウ小平氏の指導の下で、中米関係が正常化を実現しました。
中米関係は終始、中国外交の重点の一つです。1949年、新中国が成立した後、中米関係は長期に亘って対立した状態にありました。1977年副首相になったトウ小平氏は中国の対米外交の主な画策者の一人でした。トウ小平氏は国際的戦略の枠組みの変化と国内の現代化建設のニーズに基づき、一連の対米政策を制定し、中米関係の正常化過程における最大の障害である台湾問題を妥当に処理し、最終的には中米関係の正常化を促しました。
中国の初代アメリカ駐在大使・柴沢民氏は 「中米関係正常化をめぐる会談の過程で、トウ小平氏は終始、情勢発展の動向を把握し、長期的かつ政治的、戦略的観点で問題を処理した。チャンスがあれば、それを逃さず中米関係の発展を促し、問題を処理する過程で、高度の原則性を発揮した。会談が鍵となる時や、妥協を必要とする場合、台湾への武器売却問題をまず避けて、将来解決することを適時に提出することができた」と述べました。
中米関係の正常化は、トウ小平氏の構想に基づき、一歩一歩実現したことです。1979年1月1日、中国とアメリカは外交関係を正式に樹立しました。
中米関係の正常化の成果を一層強固なものにし、両国政府と両国国民の間の信頼と理解を深めるため、トウ小平氏は1979年1月29日、アメリカへの一週間に亘る公式訪問を行いました。当時ニューヨーク駐在総領事であった紀立徳氏は「このこのアメリカ訪問は良い成果を収め、中米関係の発展が両国はいずれも利益を得ることをアメリカ国民に認識させた。実際、アメリカ国民の反応を見ると、アメリカ国民も中米関係が一層発展することを期待していた」と述べました。
1982年に調印された中米『8・17コミュニケ』で、アメリカ政府は長期に亘って台湾に武器を売却することをしないと確約した。これは中米関係が引き続き発展する基盤となっている。その後、中米関係は比較的平穏な発展時期に入った。
1980年代の末から90年代の初めにかけて、国際情勢が大きく変化し、中国国内の政治環境でもいくつかの変化が見られ、中米関係は低迷状態にありました。これに対して鄧小平氏は一連の措置と案を提出し、主権と安全を第一に置き、内政への干渉を許さないという原則を堅持すると共に中米関係の大局から出発して、関係を引き続き改善するという決定を制定しました。社会科学院アメリカ研究所の王緝思所長は、「これはトウ小平氏が中米関係発展において行った全局を考え重大な方針決定である」との考えを示しました。
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