1961年 8月から9月まで、中共中央は廬山で作業会議を開いた。会議ではトウ小平が中心となって起草した「国営工業企業業務条例(草案)」(即ち「工業七十条」)と「中華人民共和国教育部直属高等学校暫定業務条例(草案)」(即ち「高教六十条」)が通過した。
1963年 7月、中国共産党の代表団がモスクワを訪問、ソ連共産党の代表団と会談を行い、中国共産党の独立自主原則を断固として維持するとした。
1966年 5月、「文化大革命」が始まる。しばらくして、誤った批判と闘争を受けて、一切の職務を失う。
1969年 10月、江西省新建県に護送され、トラクター修理工場で労働する。
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