1977年7月、中国共産党第10期中央委員会第3回全体会議で、トウ小平の共産党・政府・人民解放軍幹部への復帰の決議が採択された。
1978年3月、中国人民政治協商会議第5期全国委員会第1回会議で、トウ小平が政協主席に選ばれた。
トウ小平は1978年11月、マレーシアを訪問した。
トウ小平は1978年11月にシンガポールを訪れ、空港でリー・クアンユー総理の歓迎を受けた。
トウ小平と妻の卓琳は1979年1月末から2月初旬にかけて訪米した。中華人民共和国成立後初めて、国家指導者が米国を訪問した。写真は、ホワイトハウスのテラスにいるトウ小平とカーター米大統領。
1981年6月、トウ小平は中国共産党第11期中央委員会第6回全体会議で演説した。会議ではトウ小平が中心となって起草した「建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議」が採択され、党全体の毛沢東思想に対する認識が統一された。
1982年9月、中国共産党中央顧問委員会第1回会議でのトウ小平。
1983年4月、トウ小平と廖承志は祖国統一大計について話し合った。同年6月、トウ小平は中国大陸と台湾の統一という構想を打ち出し、台湾に特別行政区を作り、大陸とは異なる制度を実施し、台湾に独自の軍隊を持つことを許した。
1984年10月、中華人民共和国建国35周年の式典が北京で開かれ、トウ小平が演説した。
中国と英国は1984年12月、香港問題の共同声明の調印セレモニーを行った。写真は、セレモニーに参加するために訪中したサッチャー英国首相(当時)と会見するトウ小平。
1984年4月、レーガン米大統領(当時)と会見するトウ小平。
1985年11月、元米国務長官のキッシンジャー博士と会見するトウ小平。
1985年6月、トウ小平は中央軍事委員会拡大会議で、人民解放軍を3年以内に定員を百万人削減することを発表した。
1987年10月、トウ小平は中国共産党第13回全国代表大会に出席した。
1992年10月19日、トウ小平は中国共産党第14期全国代表大会の代表と会見した。
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